風の息 |
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2007-02-24 Sat 11:34
![]() 教育分析の面接室に入りソファーに座ると 急いで来たためか、呼吸が荒くなっていた。 「すこし瞑想してみようか・・・」 そんな状態を見越してか、スーパーバイザーから そんな言葉が投げかけられた。 吐く息と吸う息を意識しつつ、短い止息を交えながら 阿字を観想する。。。。 目に映る部屋の中がブルーの吽字に満たされた空間になり 阿字がキラキラと揺らめいている。 呼吸が落ち着かない・・・・ スーパーバイザーの肩越しに見える窓の外に 小枝が揺れている。 この1週間、忙しく振り回されちゃったもんな・・・ こっちに取りかかると、あっちが気にかかるし・・・・ 「アウェアネスを使いながら、その揺れを感じて 揺れと一体になってごらん・・・」 左右に揺れ動いていたカラダが、動きそのものになる。 動くという力がしみ込んで来るように感じる。 「その力の感じを感じでごらん。どうだい?」 揺れる・・・・・ゆれる・・・・・ カラダを「動かしている」から、 「動かされている」、そして「動いている」に変わってくる。 ときおり、スーパーバイザーが灯した香の薫りが届いてくる。 しみ込んできた力は、息となって 何事もなかったように動いている。 緩急・・・・・自在・・・・ 「このセッションの気づきが、何か役に立つかもしれないね」 教育分析が終わってからご挨拶に行った豊川稲荷では すでに桜の花がほころび始めていた。 |
認知のゆがみ〜先入観と思いこみ〜 |
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2006-07-28 Fri 17:05
![]() 「現実」〜この世界の唯物論的な見方である判断の根拠は 自然科学をモデルに発達してきた。 一方、プラトンのイデア学派や瑜伽唯識派は、 現実など儚い夢のようなものだと看破する。 この現実が唯一絶対のものであると了解するのは、 ある意味、underlined assumption(思いこみ)であり irrational belief(誤った信念)のような 「認知のゆがみ」(十二因縁でいう「取」)なのだろう。 たとえば、夢の中の石は自分の外に存在するのか? 夢の中の石は物なのか心なのか? 主観なのか客観なのか? 以前、「抜き加持」を教わったとき、 憑依している霊、あるいは霊障と表現された状態が どうしても理解できなかった。 シャーマニックな世界の consciensus reality(合意に基づく現実)を 共有していなかったからなのかもしれない。 しかし別の状態として「何か」を知覚していた。 それは「気の滞り」あるいは「その人にそぐわない気」として。 それが一番近い感覚だった。 ロールシャッハの図版の中に、蝶を見る人もいれば 人の貌や蛇を見る人もいる。 ロールシャッハの図という事実は一つなのであるが それをどう認識するかが違うのである。 気の滞りであろうと、霊障であろうと、 そこに何らかの違和がある、それだけが事実なのだろう。 しかしそれらが実在する物としてのcontextで語られるとき ある一つの思いこみの世界になっていないだろうか。 分析心理学(ユング心理学)では 異界(無意識のフィールド)のどこかにある セルフ(自己)に自我(的)中心がシフトすることを 自己実現と呼ぶ。 それは生の意味と充実感という肯定的側面の強調であり そこではセルフの闇とのバランスが求められる。 自己実現の過程で、無意識のフィールドに移行した自我中心が 明・善・良の側面しか見ないとき、 ある種の自我主張の強さとして現れる。 いつか書いた千日回峰行者・故小林栄茂師の言葉が耳に痛い。 「修行はすればするほど、悟りから遠くなります。」 |
ダイレクト・インターフェーズ |
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2006-06-14 Wed 23:57
![]() ビオンは、われわれが心的体験として体験できる以前の心的要素として、アルファ要素、ベータ要素と名づける二つの段階を仮定する。両者は、ベータ要素という最も原始的な心的要素が、アルファ機能と名づけられる機能によってアルファ要素に変形されるという関係にある。ビオンは、ベータ要素は、思考の最も原始的な段階であり、心的側面と物質的側面がまだ未分化な、心的体験としては体験不可能な要素である。ベータ要素に相当する感覚入力や身体反応は、アルファ機能と名づけられる機能によって、イメージの素材となるアルファ要素に変形される。つまり、ベータ要素とは、イメージを構成する素材になる以前の要素であり、ビオンは、アルファ要素が生み出されてはじめて、さまざまの直接体験が可能な心的現象が生まれると考える。 『トラウマの表象と主体』 「トラウマによる主体の損傷と生成」森茂起 pp.203 う〜〜〜む・・・・(-_-") わかったようでわからない説明ですが、 要するに、 私が「体感」や「理解」というフィルターを通さずに聴いている 身体の声や心の聲、言語化して患者さんに伝えているモノ、 それがこの『ベータ要素』のことなのでしょうか? ということは、 私は「心的体験としては体験不可能」な領域を体験し、 ビオンの言うアルファ機能を介さずに アルファ要素に構築してるってこと? |
心理セミナーの案内 |
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2006-03-14 Tue 06:37
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明恵と聖フランシスコ |
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2006-02-23 Thu 10:17
![]() ![]() 山王教育研究所のサイコセラピーセミナーで 『明恵と聖フランシスコ』と題する 河合隼雄先生の講演があるそうです。 すんごく行きたいんだけど、 あいにくその日はお寺の行事とブッキング・・・(>_<) 誰か、代わりに聞いてきてくださいませ〜!<(_ _)> |
鏡の法則 |
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2006-02-09 Thu 12:32
![]() 「投影」 自分の無意識にある不快な内容が、 他人の性質であるかのように感じられること マイミクさんのページにも書きましたけど おもしろいサイトを見つけました。 鏡の法則 心理学では、投影とか無意識の布置とかいうんだけど、 難しい話は抜きにして、 どう思います? |
臨床心理士と仏教徒の対話 |
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2006-02-09 Thu 11:16
![]() ![]() ![]() ユング派の臨床心理士である家内に、 BPDの子からチョコレートをもらった話をした。 以下、会話のダイジェスト。 「え〜?!!もらっちゃったの?!!・・・」 「もらったけど、もらってない」 「あ〜ぁ・・・しょうがないなぁ・・・(-_-) もらってないって言っても、受け取ったんでしょ?」 「受け取ったけど、受け取ってない」 「○○先生とか△△先生に、 スーパーヴィジョンを受けた方がいいよ。 どうなるとか、どんな影響があるってのが わかってないみたいだから・・・(-"-)」 「どうもならんし、儂は儂やもん。 スーパーヴィジョン受けたら、何がわかる?」 「それは、基本的にボーダーの子とどう関わっていくか、 俯瞰的な視点をもたないと、 巻き込まれてお互いに潰れてしまうよ。」 「儂はその次元におらんもん。 儂が潰れんのに、その子が潰れるはずがなかやろ?」 「・・・(嘆息)・・・」 家内の言ってることは、わからないでもない。 でもそれはシャバをいかによりよく生き抜くか?っていう 森岡正博「身体の欲望」の世界。 そんな直線的な立ち位置にいるんじゃない。 森岡の言う無痛文明を解体し、転換したあとに立ち現れる 「生命の欲望」を肯定してるだけ。 だから、ボーダーの子にかぎらず、 患者さんと向き合ってるときは、 久松真一博士がおっしゃる基本かつ究極の考案、 「どういう在り方でも、われわれの現実の在り方は、 特定の在り方であり、何かである。 何かである限り、何かに限定され繋縛された自己である。 何ものにも繋縛されない自己、 それをまずわれわれは自覚しなければならない。 立ってもいけなければ、坐ってもいけない。 感じてもいけなければ、考えてもいけない。 死んでもいけなければ、生きてもいけないとしたら、 その時どうするか?」 に住している。(つもり) 現実が自分の外にあり、 自分自身と接する肌の部分で苦悩しているのが、 ボーダーの子じゃないんだろうか? だから彼女は、現実と心とつなごうと、 自傷を重ねるのじゃないか?そんな風に感じてる。 「そういうやり方だと、自我が痛くてしょうがない人が たくさんいると思うよ」 たしかにそうだろう。 自我は痛み、苦しみ、血を流すかもしれない。 でも、自我は元型のコンプレックスとユングもいうように、 自我に自己があるわけじゃない。 だから、自我に奉仕するかぎり、 よかれと思ったことは裏目に出、 災い転じて福となすという、善悪の絡み合いは 無限遡及に陥るのではないかな? 「執着の苦しみ(ドゥッカ)と、苦しむ必要のある苦しみは 別やもん。。。」 「う〜ん。。。よくわかんないけど、すごくユニーク。 心理ではそこまでやらないもん。」 「じゃあ、心理療法の目的ってなに?」 「心が苦しんでる人が、 その苦しみから少しでも楽になれること。」 「じゃあ、良いって思ったところで打ち切らないと、 その後、また状態が悪くなるやろ?」 「そう、そうやって関係を続けていく。 あれっ?それが無限遡及って言ってるの?」 「そ!そんな表面的な善し悪しじゃなく、 苦(ドゥッカ)の根を断つってこと。」 「・・・・・」 たぶん、ここがユングと久松博士の 対談の論点になったのだろうな。 久松博士は繰り返し、ユングに問う。 「精神療法は、人間を悩みそのものから解放しますか、 しませんか」 「人は、集合的無意識から自由になれますか」 この問いは、 「たった今ほかならぬここで、 どうしてもいけなければどうするか」 という基本考案に他ならないのだな。。。 アルコール依存症のダンナさんとの関係に苦しむ クリスチャンの女性が来院。 「私は神じゃないから、人を救うなんてことはできない。 ただできることは、苦しみから解放されるよう祈ることだけ」 合掌! |
気づき(アウェアネス)って・・ |
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2006-01-29 Sun 20:22
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二つは一つ、でも、一つは二つ!(二而不二、不二而二) |
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2006-01-28 Sat 11:13
![]() 月に一度の教育分析の日。 いつものように、豊川稲荷と赤坂不動尊に お参りを済ませた後、面接室へ。 部屋にはいると、暖炉の薪がパチッとはぜている。 なんともいえない香り。 「どうだい、クリニックは?」 「いやぁ、ボーダーの人は大変です。。。 なんか、自分の中で、すごく腹が立ってきて。」 「多くの精神科医は、『いつまでもなにやってんだ!』って 壁を壊そうとするからね。ホントは壊しちゃいけないんだよ。 太陽みたいなアプローチしなきゃ。」 「・・・何度も巻き込まれちゃって。。。 でもこの前、喰われちゃいました。 そしたら、変わるんですよね、関係が。 嵐がピタッと静まって凪みたいな関係で安定する。。。」 「Iさん(私のこと)は、 自分の身を虎に喰わせてやったんだな(捨身飢虎)。 飲み込まれたところから生まれてくるんだよ、 胎蔵界みたいに。」 「そういえば、このまえ夢を見たんです。」 胎蔵界という言葉にフラートされ、 先日みた、摩利支天の夢のはなしをする。 「二重にも三重にも、幾重にも母親が布置してるな。 わかるかい?夢の中の師匠からみるとどうだい?」 「わからなかったから、 洞窟の産道に戻らなくちゃいけないんですね。 鬱みたいに。。」 「Kちゃん(私の配偶者)にも、 豊饒のブタやイノシシを見てあげると、 女性の深さをみることになるよ。」 しばしの沈黙・・ スーパーヴァイザーのFさんも瞑想している。 夢を咀嚼してると、イメージが活動を始める。 ・・洞窟・・空洞・・・ ・・・金剛界、胎蔵界・・・ ・・・双身の摩利支天・・・ ・・そして、猪と左手・・ ・・猪と左手のイメージから、急に 巨大なヘビのイメージが出現した! ・・・あっ!驚いた瞬間、ふいに、すべてが ジグソーパズルのように、次々と嵌っていく・・・。 ・・鳥肌が立っている。。。 「どうだい?」 「イノシシのイメージを観てたら、なんか、 急にヘビのイメージが出てきて・・・。。。 夢って、すごいです!知らないことまで知ってて・・・。 十二支の猪の反対側はヘビ(巳)だし・・・ 摩利支天も双身だし。。」 「対局にあってもいいんですよね、 一つにしようと無理しなくても。正反対で混ざらなくても、 混じり合ってコンフリクト起こしても、 一つだから二つでいいのか・・・」 「うん、うん!Iさん、なんだか、布置というか、 運命が変わり始めたような気がするよ。」 ・・自分の中の何かが音を立てて崩れ落ちるような感覚。 ・・もう抗えない・・ そう感じたとき、クタッと体の力が抜けてしまう。 自分の中で母のイメージがクローズアップしてくる。 「夢の中で師匠におこられたみたいに、 私、母親からずっと目を背けてたんです。 ボーダーチックですごくイヤだったし。。。 それで逃げ出しちゃった。」 「鬱になったかい?Iさんが逃げ出した後、お母さんは。」 「妹に当たってましたねぇ。。。」 「それでバランスを取ろうとしたんだな。 でも、Iさんが鬱になっちゃったね。」 「でも今は、クリニックの診察室に引きこもって 鬱やってるから、たっぷりインキュベートできて、 これを仕事にしちゃっていいのかな? って思えるくらい。。。」 「クリニックで鬱をインキュベートしてるのは、 Iさんにはすごくいいんだよ。」 ・・・ばあちゃんの骨噛みはしたけど、 お母さんはどこにいるんだろう? ・・生きてるときに、向き合えば良かった・・・ 後悔と無念さが沸き上がって来た瞬間、 体に感覚が引き戻される。 あぁ!!! 嬉しさと悲しさがないまぜになったような 不思議な感覚が、なんども体を駆け抜け、 後から後から涙があふれてくる。 「なんだか・・・何というか、 自分自身が母親だったんだな・・って。」 「イヤで目を背けて、逃げ出しちゃったけど、 一度も離れてなかったんだな・・って。」 「今、皮膚というか体にぴったり母親が生きてる!!」 面接室を出ても、ふあふあと揺れている。 気づいたら、クリニックに来てた。 うん、インキュベートしろということか。。。。 横浜吉祥交流会に出かけるまで、しばらくこのままでいよう。 この大悲胎蔵生曼荼羅の中で・・・ |
プロセスワーク的教育分析 |
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2005-12-03 Sat 14:09
![]() 今日は月に一度の教育分析を受けてきました。 行のときにある観想を試しにやってみた・・という話をしたら、スーパーバイザーから、いろんなことに興味を示す子供っぽさ、テクニカルな研究実験をするような科学者の視点、それらを試してみたい自我の傲慢さというか、姿勢のあり方(メタスキル)について突っ込まれました。 かなりイタイところを突かれた感じでした。(^^;) 内省して「型にはまると窮屈だ」という思いを口に出した途端、右肩が上がったことを指摘されました。 自分では全く意識してません。身体チャンネルに現れた完全な二次プロセス。 座る位置を変えて、肩を上げさせる側になってみます。 そこにいる一次プロセスの私の肩に左手をかけて、右手で右腕を握って。一次プロセスの私は、肩を上げて置かれた手を払いのけようとしてます。 「どうだい?」とスーパーバイザーが問いかけます。 二次プロセスの私の境涯に来たいのなら、こうすればいいよと左手で肩を支え、右手で方向を指し示してるのに、一次プロセスの私は、そこから逃げだそうとしている。まるで勉強を強要されてた子供の頃の自分のように。。。 二次プロセスが一次プロセスをブレイクスルーするのではない、ディープ・デモクラティックな変容。 すとん・・と腑に落ちました。 |

















