変化〜〜メタモルフォーゼ〜〜 |
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2008-06-30 Mon 21:58
![]() もうどのくらいになるのだろう。 サナギから孵化したような患者さんを目の当たりにして 中断の時間がゆるゆると埋まっていく。 おそらく自分の中でインキュベーションを繰り返し 充分に熟成が進んだので再生してみた。。。 まさにそんな感じだった。 一方、中断の時間が腐敗につながる場合もある。 外界との緩衝剤として産出された適応障害としての症状が 次第に自我違和的な神経症的症状になったところで 患者さんは変化を拒絶した。 症状は次第に自我を浸食し、違和感が薄れ、 「今のままで構わない」と促進する内服も拒否し、 「薬を飲むと頭がおかしくなる」と言い、 パーソナリティ障害的に症状と分かちがたく融合してしまった。 連れ立つ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり。 その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一羽は食らずして注視す。 甘き菩提樹の実を食らわせたの、自我の策略だったのか。 |
結界〜境界の形成〜 |
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2008-06-29 Sun 16:36
![]() 昨日、エンボディード・ドリームワーク専門の配偶者とワークの場の話になった。 エンボディード・ドリームワークでは、 半覚醒の意識状態〜hypnogogic state〜で、 夢の中に立ち現われてくる目に見えぬイメージを 体(形)を具えたものにならしめる(具体化する)プロセス、 つまりイメージに体(形)が与えられ、 その夢の中に組み入れられ、夢の中に融合していく。 夢の中に入り、現われてきたイメージのさまざまな側面に入り、 そのイメージを身体性を伴って体験することこそが ドリームワークでは重要なのであるなら、 夢を体現(embodied)していく誘導は、 『私』の中に『私』とは異なる、 夢を作り出している「夢主」(dreamer)を召喚・生起し 受肉(incarnate)させる作業に他ならない。 つまり、『私』の中に、「変容の容器」である夢の場を創り出すことこそ エンボディード・ドリームワークの主眼ではないか? 変容の容器については、ユング派の故・織田尚生先生が 『心理療法の想像力』の中で以下のように述べておられる。 治療者と病者との中間領域に守られた場、つまり容器を形成し、そこで変容の過程を体験することによって癒しが生じる。治療者と患者とは治療的な対人関係を形成するが、外的な両者の関係性ばかりでなく、容器のなかに同時に関係性を生じている。このような二つの関係性を治療者として体験していくことは、必須の作業であろう。 中間領域という概念は、なぜ必要だろうか。臨床経験から考えてみよう。心の変容が容器のなかで生じるとすれば、私たちはこのような容器のあり場所をどこに求めればよいだろう。容器は生きた器でなければならず、それが治療的な対人関係と想像力によって生じることから、変容の容器は治療者と患者との中間領域に生じると言える。 心理療法とは、治療的な容器を治療者と患者との間に成立させ、その容器のなかの過程の進行を守っていく作業である。ところで容器を形成し保持するためには、治療者は想像力を、どのように働かせたらよいだろう。 すでに述べたように、私の心のなかには二種類の想像力が働いていた。ひとつは荒寥とした雪の駅舎であり、他方はもっと明るい牧場の光景である。前者は患者の心象風景に近く、後者は治療者本来の想像力の世界に近い。ここでは治療者に複数の心性が作用しており、後者に関する想像は女性の絶望を補償する補償的ファンタジー(逆転移)であるとも言えるだろう。大切なことは患者の絶望に共感するばかりでなく、それに刺激されて生じた補償的な想像活動にも注目し、両者の間のずれを体験することである。このことによって、治療者と患者との間の中間領域における治療的な容器の形成と、そこでの変容過程とが促進される。 患者にとって、心理療法が進展するまでの間は、建設的な治療者患者関係を、想像力を用いて心理的に体験することは困難である。心理療法には危険性が内在しており、治療者と患者との中間領域に守られた容器を形成することができず、治療者が実際に体の病気になったり、患者との問題に巻き込まれて精神的な変調を来すこともある。ときには治療者が、困難な患者との関係性が引き金となって自殺してしまうという危険すらある。治療者自身を守れなければ、患者を守り通すこともできない。治療者は心のなかに傷ついた患者を想像力を通して抱えながら、しかもその作業に圧倒されないように自分を守り続けるという、困難な課題を背負わされている。 『私』の中に、守られた「変容の容器」である夢の場を創り出すこと その中で進む変容が漏れ出さないようにするには、結界が不可欠ではないのか、と。 「ボズナック先生に聞いてみる」と配偶者。 密教の修法では、本尊を浄土から召喚し、供養し、 撥遣して浄土にお返しする作法の前後で、五種の結界結護がなされる。 エンボディード・ドリームワークのやり方は 慧印万行自在法の口訣として師匠から教わった 「自身の心蓮台の上に本尊を生起し、壇上に撥遣供養し再び心蓮台に導引する」 というプロセスと似ている。 ここでの結界は、心理療法での変容の容器でもあると同時に 自身即本尊瑜伽の場でもあり、空性が具現する場でもある。 ドリームワークや心理療法のセッションを終結する時に 空性に還すプロセスが欠如していることは、 場に生起された無意識の力に巻き込まれ その影響を受け続けるという危険に巻き込まれかねない。 実際に人によっては数日間、体調を崩すなどの影響も出ている。 ならば、心理療法においても 荘厳行者法、結界法、荘厳道場法、勧請法、結護法、供養法の 5つの修法プロセスをなぞることは、 クライアント、セラピスト、第三主体を含めた場を守る 力として作用するのだろうと考えている。 |
ユーモアとウィット |
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2008-06-27 Fri 23:32
![]() オーストラリアに住んでいる時、チベットのラマから教えを受けていたが ラマの多くは、すごくユーモアが豊かだった。 悩みを笑い飛ばし、でも真摯に向き合う姿勢に身の震える思いがした。 自分で精神療法をやるようになって、つい前々回の教育分析では 濁(汚物)さえ滋養に変容させるくらいの“セラピー”にならないことを思い知らされた。 自分なりに試行錯誤でやってみてると、どうもボケとツッコミというか 山中先生がおっしゃる掛け合いのような感じになる。 たとえば、対人関係の相談を受けている時も やはり面接中に笑いが起きる。 プロセス・ワークではホット・スポットというのだが、 緊張する局面になると笑いが起き、一気に転回することがよくある。 ユーモアというよりもウィットの世界のような気がする。 これを説明する時に、「ネコの毛繕い」という。 ネコがケンカしている時に、他害のテンションが高まると いきなり毛繕いをはじめる。 このことを説明すると、やはり笑いがこぼれるので その感覚が、ホットスポットの笑いやウィットに通じる。 チベット仏教の空と日本的な空性の違いなのだろうか? サイコセラピーは落語と通じるものがあるのかもしれない・・・と 思う今日この頃・・・。 |
愚痴 |
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2008-06-22 Sun 19:07
![]() 本当は22日(日曜)に統合失調症の心理セミナーがあったのだが 21日(土曜)の夜に「初発統合失調症」の精神医療セミナーに出たので 安息日に充てて、ためていた論文のまとめ読み。 振り返ると11日(水曜)から10日間、ほぼ1日おきに5回の 研究会やセミナーに出ていてかなり疲れていた。 しかし7月6日(日曜)から15日(火曜)までの10日間に、 また6回も会合があるので体力勝負になりそう。 その間に、本来休診日の土曜日に家族面接を入れているので 結局、休む暇なしの日々が続いてしまう。 一般にメンタルクリニック系では 1ヶ月後の患者さんの定着率は50〜70%と言われている。 土曜日にお会いした知り合いのドクターは 水・木・日が休みで、土曜日の診療をなさっているが フツーに新患も受け入れておられた。 しかし、うちのクリニックはというと・・・・ 新患を受け入れる時間枠の確保もままならないどころか、 再診の患者さんの時間にも困難をきたしている。 土曜や朝の早い時間に書類書きをしているが これとて、上記の家族面接で時間が取られるため、 必然的に持ち帰りの書類が多くなる。 愚痴をこぼす相手もおらず、こうやって燃え尽きていくのかもしれない。 |
抜き加持と大般若理趣分転読祈祷 |
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2008-06-19 Thu 23:19
![]() 精神疾患というか、心理状態はうつるんです。 “映る”というか、“遷る”というか。。。。 相手の無意識に近い精神状態の影響をモロに受けて、 同じような精神状態(時には身体症状)になることがあります。 転移・逆転移やエナクトメント、ドリームアップと言ってもいいし、 二人組精神病という概念もあるくらいです。 何故?というのはわかっていません。 電話でもそうなりますから、影響を受ける、巻き込まれるというよりも、 憑くという状態が一番近いと思います。 古来より、生き霊とか想念が‘憑く’と言われている状態です。 サイコセラピーでは“ソレ”をコトバというカタチにして、 言語化することで影響力を無化しようとする方法で対応します。 このような状態には加持や祈祷がそれ以上に有効なのです。 加持や祈祷というセラピーでは、 “ソレ”に生き霊や想念という仮象(カタチ)を与え、 本来の空性に帰着するという方法をとります。 パーソナリティ障害外来の日、スタッフの一人が 肩から頸に押し広げられるような、ねじ込まれるような痛みを訴えました。 その日は凝りでしょう・・・と済ませたのですが、 それから数日間、痛みのために睡眠も妨げられる始末。 おまけにパーソナリティ障害系の患者さんと話すと痛みは強くなる。。。 2種類の鎮痛剤と漢方を併用して飲んでもらいましたが、 痛みは治まりません。 しだいに疲弊して、仕事もままならなくなってきました。 ぢゃぁ、加持をしましょうか・・・という話をした帰り、 電車で「あっち行け!、あっち行け!」と念じていたら 少しは軽くなったそうです。 お昼休みに抜き加持と大般若理趣分祈祷をやってあげました。 護身法、洒水加持、結界と常の如く前方便の後、 ベッドに横になってもらい抜き加持から。 荒神除罰大事の後、火界咒を唱えながら眼でスキャンしてみると・・ あんまり反応がなく、いくつか気の滞りがある程度。 潜伏していることもあるので、掌で邪気(?)をスキャンしてみると、 あれっ?というくらい何もない。 わずかに残滓を感じるだけで、憑いている本体がいない。 しょうがないので光明真言を唱えながら気の鬱滞を取り除き、 開いていた風門を閉じ、三種の九字を切って抜き加持は終了。 引き続き、大般若理趣分祈祷。 転読していると、インクルージョンされたかも?という感じがあったので 念入りに理趣分で加持をしてあげました。 終わってから、痛みはほとんど取れてスッキリしてました。 でも、午後からいらっしゃった患者さんの一人に反応して 「ちょっと顔を出した感じがした」と言ってましたから “それ”の一部が自我に組み込まれたんだと思います。 もっと早くやってあげればよかったと後悔しましたけど、 今度、顔を出した時は首根っこを捕まえる感じの 切除手術(加持)が必要になるでしょうね。 |
肘をついて食べるのは? |
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2008-06-18 Wed 22:57
![]() 「所変われば品変わる」と言われるように マナーも千差万別。 たとえば、エスカレーター。 関東では左側に立ち、右は急ぐ人に空けておく。 しかし関西ではこの逆。 ナイフとフォークの文化では テーブルの上に両手を出しておくのがマナーだし、 お隣の韓国では椀を持ってはいけないらしい。 外食が多いせいか、肘をついて食べている人をよく見かける。 椀を持った左肘をついている人より なぜか箸をもつ右肘をついている人が多いのが不思議。 動かしにくいだろうに。 肘をついて食べるのは行儀が悪いと言われ 子供の頃によく注意された。 あぁ!食卓の高さの問題か。 畳に座って卓袱台だったから、 大人であれば肘のつきようがなかったのだ。 子供にとっては食卓がちょうど良い高さだったので つい肘をついていたのか。 それで正座して食べるように躾けられた。 今の世の中、肘をついて食事をする人が多いのは テーブルと椅子の文化になってしまったからかもしれない。 肘をついて食べる人は、ナイフとフォークを使う時は どうしているのだろう? ならば、肘のつきようがないお膳では どうやって食べるのだろう? 足を組んで、肘をついて、背中をちょっと捻りながら傾けて なんだか「いただきます」も「ごちそうさま」もないのかもしれない。 加行中の二食作法とは対極にある世界のようだ。 飽食の時代だからこそ、施餓鬼は必須なのかもしれない。 |
外来〜 |
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2008-06-16 Mon 22:49
![]() やはり、終了予定時間を大幅に過ぎて 今日のパーソナリティ障害外来がようやく幕を下ろした。 ユング派の故・織田尚生先生がおっしゃる 「布置の逆転(the reversal of the usually constellated roles)」 あるいは「共有的逆転移と補償的逆転移」(エナクトメント)を自覚しつつ、 変容の過程に必要な「抱えること(holding)」(Winnicott,D.W.)または 「包み込むこと(containing)」(Bion,W.R.)にもアウェアネスを向けつつ、 治療者と病者との中間領域にとどまっていると(居られた?) これまでの外来とはなんか違う雰囲気で終えることが出来た。 うまく言えないが、エネルギーの持ち出しがかなり少なかった。 とは言っても、これまでのやり方が力みすぎだったのかもしれないが。 それにしても外来はオモシロイ(失礼)。 患者さんの層が妙にシンクロする。 最初は「現代型うつ」「逃避型うつ」が主流だったのに、 徐々に「ディスチミア親和型」や「双極スペクトラム障害」が増え、 双極が一段落した頃から、「過食嘔吐」「パーソナリティ障害」や 「初期統合失調症らしき」患者さんが多くを占めるようになってきた。 いや、もしかすると、こういう患者さんは 私がわからなかっただけで、最初からいらっしゃったのかもしれない。 私の興味が、外に現れる症状から 内的自我の問題にシフトしてきたことで、 徐々にその姿がクローズアップされてきたのかもしれない。 そうだとすれば、患者さん達の中には、 まともに診立ても治療もできなかった私の前から姿を消し、 ちゃんとした治療者の元に旅立っていかれた人もいらっしゃったのかも。 申し訳ないことをした。 |
加持的サイコセラピーにエナクトメントを使ってみる |
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2008-06-12 Thu 21:24
![]() エナクトメント(プロセスワークではドリーミング、 もうちょっと深い次元ではフラート)は、 セラピストの無意識の動機やドリーミング (雰囲気、気、仕草、言葉のトーン・リズム・質・旋律・早さ、 視線、違和感などなど)がクライアントに影響を及ぼすのを、 逆転移エナクトメントというそうだ。 ということは、転移エナクトメントもあり、 プロセスワークでは、ドリームアップと呼んでいる。 転移・逆転移におけるエナクトメントは 「双方の無意識的動機づけにおける相互作用として むしろ避けなければならないものとされていた」そうだが、 有無をいわせず体験してしまうものなので、 むしろ言語化して治療の場に投げ込んでみる。 そうは言っても、言語化するのを躊躇われるような フラート(あるいはもっと自覚しやすいドリーミング)もあり、 そのような時は、ただその瞬間に自覚しているしかなく 罪悪感の塊になってしまう。。。。(´-ω-`;) 言語化するのは口頭伝授か。 ならば、ゾクチェンのようにヘデワに導き入れたら、 もっとダイレクトなのかもしれない。 弘法大師空海の『即身成仏義』に 「加持とは如来の大悲と衆生の信心とをあらわす。 仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、 行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく。」 とある。 これを心理臨床に言い換えると 「エナクトメントとは治療者の開かれた無意識と患者の治療動機とをあらわす。 治療者の間主観性、患者の無意識に逆転移されるを加といい、 患者の転移、よく治療者に向けられるを持と名づく。」 おぉ!これが加持とサイコセラピーの共通原理ぢゃないか!! さっそく、明日の外来で試してみる。 |
プロセス指向仏教心理学ワーク〜その2〜 |
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2008-06-11 Wed 23:33
![]() 今日はパノラマ的瞑想と集中型の瞑想の注意点から。 パノラマ的瞑想はシャマタ(シネー)なんだろうか? それともヴィパサナ(ラントン)なんだろうか? ゾクチェンでいえば、ナムカ・アルテーに相当するのだろう。 そういう理解で。 インナー・ワークのやり方は、注意を漂わせるパノラマ的瞑想から かすかにひっかかるもの(フラート;flirt)をつかまえて、 その中に入り込んで一体化する(集中型の瞑想)。 ここが、仏教やゾクチェンなど執着を手放す修道プロセスと セラピーを目的とするプロセスワークとのちがい。 ナルホド・・・。 それで、プロセスが終わったらまたパノラマ的瞑想に戻る。 フラート(flirt)に対するには明晰性・瞬敏性が必要と。 瞬間芸は修験もゾクチェンも同じだなぁ。 フラートは明鏡止水の境地と似てるのか・・・と思いながら聞いてた。 夢の次元のフラートはフロイト派、特にビオンが エナクトメントと表現しているらしい(未読)。 ドリーミング・レベルのフラートは、種(エッセンス)が発芽し でもまだ地上(夢の次元)まで芽が出ていない状態と。 たぶん、自分なりに理解したところでは、 ゾクチェンで言うロルパの中の動きを ドリーミング・レベルで フラートとエッセンスという言葉で表している様子。 地上に出た芽、地下の発芽したばかりの芽、種というモチーフでは おそらく入れ子構造が繰り返されるのだろう。 定義というか譬えがモノという概念の制限を受けるのだ。 師匠からいただいた「阿・鑁・吽」の柱源口伝での理解の方が ゾクチェンよりわかりやすい。 武道の達人が言うところの「殺気」・・・ みたいなものを「感知する動き」をフラートというのだろう。 で、フラートと現世利益のワークは面白かった。 これって、辻占と同じだな。 |
ピクニック@ハンギング・ロック |
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2008-06-09 Mon 22:00
![]() ![]() リクパ・メルボルン(ソギャル・リンポチェのセンター)で一緒だった 名前は忘れてしまったが、ジャッキー・チェンの大ファンの 地元でシンガー・ソングライターをやってる人がいて、 ジャッキー・チェンおばさんと呼んでいた。 そのジャッキー・チェンおばさんからホーム・パーティーに誘われ、 メルボルンから車で3〜4時間ほどの距離にある グレンライオンという町に向かった時のこと。 途中のウッデンドという町の近くにハンギング・ロックがある。 『ピクニック・アト・ハンギング・ロック』という映画を見たことがあり ソフト・フォーカスのかかった幻想的なシーンや 何とも言えない腑に落ちない感じが、ずっと残っていた。 そのハンギング・ロックがここ?! 迷わず寄り道することにした。 『ピクニック・アト・ハンギング・ロック』は 前に現実に起きた集団神隠し(失踪)を題材にした映画で 詳しくは覚えていないが、 数人の少女達がハンギング・ロックにピクニックに行き 全員が神隠しに遭うが、後にそのうちの一人の少女だけ 助け出されたというもの。 確か、引率の先生(?)もいなくなったのではなかっただろうか? 解説したサイトを見つけたので、記憶をたどりながら読んでみると たしかに不可解な事件ではある。 実際のハンギング・ロックはどうだったかというと なだらかな丘陵地帯の中の異物のような岩山という感がある。 まるでパピローマ(乳頭腫)の様な風貌は、 間近で見ると厳しく断崖のように近づくのを拒んでいた。 生憎、立ち入り禁止だったため、登ることは出来なかったが、 この場所はアボリジニの聖地(アウトバック)なのだろう。 |
パーソナリティ障害についての私見 |
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2008-06-08 Sun 09:30
![]() 精神神経学会で双極性障害の概念が、 症状をもとに類型を抽出するカテゴリー分類から、 複数の異なる次元軸を組み合わせるディメンジョン分類、 そしてAkiskalらが提唱した双極概念の拡大から スペクトラムという考え方に移行してきていることが示された。 強迫性障害についても、何かをせずにはいられないという強迫観念と、 それに伴う強迫反復行為(たとえば、ギャンブルや買い物依存、 摂食障害や解離性障害など)を強迫スペクトラムという考え方で、 DSM-Vでは大幅にスペクトラム概念が取り上げられると予測されている。 臨床場面でいつも頭を悩ますことの1つに、 DSM-IV-TRのII軸診断、つまりパーソナリティや発達障害の評価である。 これらは10種類、3つのクラスターによるカテゴリー分類であるため、 自我のあり方というか、traitによる表現型の違いで 本質的には、同じではないのか?と思えることもある。 たとえば、表出される感情に暖かみが感じ取りがたく、 非社交的、孤立しがちで、他者への関心が希薄で 控えめで臆病、恥ずかしがり屋、真面目、従順で正直、 敏感で神経質といわれる奇妙で風変わりなA群クラスターに入る 統合失調質パーソナリティ障害(スキゾイド)。 一定の秩序を保つことに固執し、融通性がなく、几帳面、 完全主義や細部への拘泥、頑固、過度に良心的で倫理的、 吝嗇、温かみのない狭い感情、優柔不断、決断困難、 未知のものや強烈な感情を避ける事が特徴といわれる 不安で内向的なC群クラスターの 強迫性パーソナリティ障害。 この2つはMillonによると感情表出の乏しさ(情緒性)と 対人関係のあり方(同調性)を見ると、非常に類似していて もしかすると類縁のパーソナリティにあり方ではないか。 この2つの対極にあるのが、他者への過度の依存、 自らの行動や決断に他者の助言や指示を常に必要とし、 他者への迎合的態度、自らの責任を担おうとしない無責任さ、 他者の支えがないと無力感や孤独感を抱く やはりC群クラスターの依存型パーソナリティ障害ではないだろうか。 また、演技的・感情的で移り気なB群クラスターに入る 自己愛性パーソナリティ障害は、傲慢、尊大な態度、 他者の注目と賞賛を求め、他者の過剰な理想化と 自己評価への強い拘り、周囲の批判や無関心に対して 抑うつや激しい怒りを見せる一方、他者への共感力が低いと言われる。 C群クラスターに入る回避(不安性)パーソナリティ障害は、 自分の失敗をおそれ、周囲からの拒絶や強い刺激をもたらす状況を避ける。 自己への不確実感、劣等感などの自己にまつわる不安や緊張から、 対人交流に消極的でひきこもりをみせる。 この2者は、うつ病という表現の妥当性は抜きにしても 「現代型うつ病」 (「未熟型うつ病」「ディスチミア(気分変調症)親和型うつ病」)の特徴とされており、 笠原嘉、木村敏による分類による病前性格‐発病状況‐病像‐経過のうち III型・葛藤反応型に相当し、マゾキズム・ナルシシズム両系における 病的同一化の組み合わせの違いだけなのではないかと考えている。 |
菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす |
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2008-06-07 Sat 19:26
![]() 「護国寺のチベット仏教の祈りに通ってます」と 患者さんが小冊子を見せてくれた。 手にした途端、懐かしいイメージが戻ってきた。 ・・・オィゲン・ユルギィ・ヌプチャム・ツァム・・・ ・・・ペマ・ケ・セラ・ドゥン・ポゥ・ラ・・・ 文字を目で追いながら、自然と口ずさんでしまう。 「先生、読めるんですか?!」 患者さんがポカーンとした顔で驚いている。 10年以上前、メルボルンに住んでいた時、 ほとんど毎日のようにチベット仏教のセンターに通っていた。 ソギャル・リンポチェのリクパ、ナムカイ・ノルブ・リンポチェの ゾクチェン・コミュニティ、それからラマ・オレ・ナイダルの ダイアモンド・ウェイ・ブッディズム・センター。 休みの日は、近くにあった、ラマ・イェシ、ラマ・ゾパは創設した ターラー・インスティテュートで瞑想をさせてもらったり。。。 ニンマ派、カルマ・カギュ派、ゲルク派、それからゾクチェンと 宗派にとらわれずに前行と瞑想を平行してやっていたので、 前行や祈願の章句と各派特有のメロディは、いまでも身体に染みついている。 脳裏にリンポチェのお姿と 振り鳴らされるダマルとディルブの音が蘇る。 あぁ、菩提心の因を植えるとおっしゃっていた。 「お祈りすると落ち着くんです」 患者さんの聲でふっと我に返る。 伝授していただいた菩提心が 細かく震えていた。 |
光明真言法によるグリーフ・ワーク |
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2008-06-05 Thu 21:07
![]() パニック発作でクリニックを受診したお母さん。 数年前に息子さんを病気で亡くし、 心の傷も癒えたと思い、復職したところ 仕事中に手が震え大量に汗をかき、 緊張して息苦しくなるということで クリニックを受診された。 これまでの経過をお聞きしているうちに 亡くなったお子さんの事が ずっと痼りのように残っていて いわゆる成仏させてもらってない状態。 葬儀の後、葬儀社の方から 簡単なグリーフケアを受けられていたようだが 数年経った今でも思い出すと涙が止まらなくて 喪の作業(モーニング・ワーク)が止まっている状態だった。 薬物療法は漢方薬をメインにして、 SSRIとムード・スタビライザーをちょっとだけ味付け代わりに。 それよりもじっくり時間を取って、亡くなったお子さんの モーニング・ワークを中心にカウンセリングを行った。 と言っても、モーニング・ワークは 心理療法やプロセス・ワークのやり方は取らずに、 亡くなったお子さんの三魂七魄とのつながりを体感してもらうこと。 時々、そっと光明真言で加持しながら 仏壇の祀り方やお墓でのお参りの仕方から お経のあげ方、写経の納経の仕方まで いわゆる仏事を中心にカウンセリング(?)。 夢や感覚を介しながら、カウンセリングをすすめていると 亡くなった子供さんが頻繁に夢の中に出てくるようになった。 この段階で、薬物療法は終了。 家庭の中でも、お姉ちゃんたちや弟と 亡くなったお子さんの事を話題に出来るようになり、 日常的に一緒に暮らしている事がわかってきて、 他の姉弟たちと同じように少しずつ成長している感覚もあり、 夢での現れ方も変わってきた。 時々、診察室にも一緒についてきている感じもあり、 パニック発作はすっかり消失し、治療終結となった。 七魄に成仏してもらった治療になった。。。。。かな? |
おいおい!本末転倒ぢゃないの? |
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2008-06-04 Wed 22:16
![]() 下記のニュース記事を読んで脱力した。 すでに日本では覚醒リズム障害(夜型)が多いので、 サマータイム制を導入すると、こういう夜型の人に 健康障害が大きくなる可能性があるので サマータイム制を導入するのは問題があるという論旨。 オーストラリアに留学中に サマータイムを経験したが、 未明の空を見上げている時の爽快感は これまでかつて味わった事がなかった。 少なくとも、ストレスの軽減には 早寝早起きが効果的である事は すでに常識化している。 現代日本では夜型という問題があるにもかかわらず、 まずそれを是正すべきという議論がなされていない。 「サマータイム制が導入されても夜型が変わらないとすれば」 という仮定の下での話であり、 レジリエンス(適応力、回復力、自然治癒力)により 夜型日本人がどう変化するかという視点に欠けた論考である。 変化を嫌う日本人特有の保守的というか、 当たらず触らずというか、 識者でさえ、この程度の事なかれ主義の認識を盾に サマータイム制を導入を反対している事に 哀しささえ覚える。 識者評論「サマータイム制度」 睡眠乱し健康障害の恐れ 夜型日本人に大きな影響 北海道大教授 本間研一 記事:共同通信社 提供:共同通信社 【2008年6月3日】 地球環境をテーマにした主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)開催を前に、サマータイム制度を日本に導入する動きが加速している。豊かなライフスタイル、省エネルギー、経済波及効果などキャッチフレーズは魅力的に見えるが、サマータイムには多くの問題があり、期待される効果よりも弊害が多い。 国民生活に直接かかわるだけに、メリットとデメリットを明確に認識して、日本の条件に適しているか否かの慎重な判断が重要である。 サマータイムが生体リズムや睡眠に悪影響を与えることは以前から指摘されていたが、欧州で最近行われた大規模調査により、たとえ時計の針を1時間進めるサマータイムであっても、生体リズムは長期間適応できず、さらに自然に備わった季節性リズムに障害を起こすことが明らかとなった。その影響は日本人に多い夜型(夜遅くまで起きているタイプ)で、より大きいことも判明した。 生体リズムと社会的スケジュールが一致しないことで生じる健康障害に、不眠や昼間の眠気を主症状とする時差症候群がある。これまでこの症状は、数時間の時差がある場合でないと出現しないとされていた。しかし、この考えは崩れつつあり、特に睡眠リズム障害者やその予備軍の人々では、1時間の時差でも脅威となる可能性がある。 サマータイムを導入している国で、時刻変更の前後における健康状態や交通事故の頻度などが調べられている。結果は必ずしも一致していないが、好ましくない影響が報告されている。 例えば、サマータイムへの移行後数日間、睡眠時間の短縮や睡眠の質の低下がみられる。抑うつ気分の発生、あるいは抑うつ状態による病院受診が多くなるとの報告もあり、自殺が増えるとの結果も出されている。 研究数が限られているので直ちに結論は出せないが、国民の睡眠や精神衛生が他の欧米諸国に比べて著しく低下している日本で、サマータイムの影響はより大きいと考えられる。この50年間、日本国民の平均睡眠は約1時間短縮し、欧米諸国の平均睡眠と比較して約1時間短い。日本国民は極め付きの夜型であり、その80%以上は午後10時を過ぎても起きている。 さらに日本の自殺者の多さは際立っている。ぎりぎりのところで生活している日本人にとって、サマータイムが最後の一押しにならないとも限らない。睡眠時間や睡眠の質が今問題になっているメタボリック症候群の発症と関係するとの研究結果もあり、車の運転など作業効率に与える影響も示唆されている。ちなみに、日本で睡眠障害による経済損失は年間3兆円に上るとの試算がある。 最近、カザフスタンでは期待された省エネ効果がなく、健康に悪影響が出ることから、サマータイムを廃止し、ロシアでも廃止提案が国会に出された。米国でもサマータイムを導入したインディアナ州では、家庭の電気消費量が増加したという。フランスでは10年以上前からサマータイム廃止を計画しているが、欧州連合(EU)の手前、廃止できないでいる。 同じアジアの韓国、中国、香港は、いったん導入したサマータイムを今は廃止している。健康弱者にはつらいサマータイム。必ずしも地球温暖化対策にならず、むしろ逆効果となる可能性のあるこの制度を詳細な検討や議論もなく、日本に導入することは問題である。 |
辟除(“へきじょ”あるいは“びゃくじょ”) |
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2008-06-01 Sun 15:03
![]() 辟除とは障碍(しょうげ)をはらうこと。 辟除の仕方は、拍掌(はくしょう)であったり、 弾指(たんじ)であったり。 とっさの時には九字を切れないし、拍掌も目立つので、 先達の行者さんから教えていただいた弾指を使うことが多い。 入堂作法や撥遣(はっけん)でも弾指を使う。 小田悦代さんが『宗教民俗研究』という雑誌に 『病気治療における「解縛」と「辟除」 ―異常な状態を終結させる呪術に関する一考察―』という 興味深い小論を書いておられた。 「縛」には大きく分けて、実体ある身体を拘束する「縛」と、 邪気などの病気原因である霊的存在を拘束する「縛」の 二種類があって、「辟除」とは、「解縛」後に 病因となった霊的存在を追い払うことである。 修法の際、「辟除」をした後「結界」し、 本尊を迎える清浄な空間を構築する。 つまり「辟除」とは、 霊的存在を「縛」した場合の呪術にのみ有効なのである。 師匠から抜き加持(抜取り加持)のコツを、 抜く時は、逆・般若波羅密多(実体と観想)し、 撥遣する時は、般若波羅密多(空性)に住すると教わった。 実は、加行に入ったばかりの時 施餓鬼の後、撥遣の観想が充分でなく、餓鬼が憑いてきたり 抜き加持の時に、実体化した邪気がキモチ悪く どうしたらよいのか相談したところ、 師匠も見るに見かねられたのか、金剛般若経の読誦と 上記のコツを教えていただいた。 先達行者さんは、息吹で撥遣されているが、 私は息吹の後、弾指を行う。 街中で、あるいは診療の場で、 「!!」と感じた時(すでに実体として感知されている) とっさに小三鈷印で加持し、吽・弾指で辟除する。 時々やっていると、師匠がいつもおっしゃる言葉がよみがえってくる。 「観想に距離なんか関係ありません」 「修験は瞬間芸ですから」 確かに修験はゾクチェンと同じで 一足飛びに心の本質に到達する教えであると思う。 |
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| 東風(こち)吹かば |
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