ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー (%ad2> 200703 東風(こち)吹かば

東風(こち)吹かば

気に入らぬ 風もあろうに 柳かな

三密加持すれば速疾に顕わる






しばらく前からかなり困ってたことがあって

今週初めにあまりにも不義理と思われる出来事があったので

やむを得ずプチ調伏をやってみました。




調伏と言っても大がかりな事ではなく

阿毘遮魯迦(アビシャロキャ)の真言を唱えただけですけど。



月曜から始めて4日目。

先方から連絡がありました。

表向きは別の用件だったのですが

不義理に対する詫びだったのです。



彼らが扇底迦(センジキャ)でありますように。


合掌




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拈華微笑(ねんげみしょう)







診察室のドアを開けて患者さんを呼び入れる時に、

フッとピンクのイメージが拡がった。



(ん・・・?)

ちょっと驚きながら、その感覚にフォーカスしたまま話を始めた。



「この2週間、割と落ち着いていました。」


笑顔でそう語る患者さんの背景にピンクのイメージを感じる。

梅や桃のピンクとはちょっと感じが違う。。。



「春は新たな創造の季節ですから、

 何か新しいことがありましたか?」


「そうですねぇ。新しいといえば、立ち上げたばかりの仕事に、

 まだシックリ感がないことくらいかなぁ・・。」



それで気持ちにピッタリ合った格言や諺を探して、

暗中模索中の座右の銘にしたいと思っていると。



(まさに今私がやってる、ピンクのイメージにピッタリする事象を

 あれやこれやとサーチしていることと同じだな。。。)



以前に日記に書いた『月に映すあなたの一日』を思い出した。



「ちょっとやってみましょうか?」

と、患者さんに心に浮かんだ数字を言ってもらい

その頁を開いた。




   わたしの後を歩くな。

   どこへ行くかわかっていないこともあるのだから。

   わたしの前を歩くな。

   わたしが君についていかないこともあるのだから。

   歩くときは横に並べ。

   さすればわれわれもひとつになれるかもしれない。




「わたし」と「わたし」が語りかけている相手との関係は、

医師-患者(セラピスト-クライアント)関係でもあるだろうし、

考え(思考)と気持ち(感情・感覚)の関係でもあるのだろう。

カウンセリングの場でいうと、気持ちを言葉にするということ。

そして、考えと感情がぴったりと一致すること。



そう説明すると、すごく腑に落ちたみたいな感じ。




最初に別のクリニックを受診したとき「病気ではない」と言われ

話も聞いてもらえず薬もくれなかった、という話をしてくれた。



(なんてことだ・・・)

苦しみ悩む人という意味の「患者(=patient)」の苦悩を聞かずして

何が「病気ではない」だ!という思いがある。



「でも、、、」と患者さん。

「こんな人生相談みたいなことで、通っててもいいんですか?」

と。



「もちろん!」


「病気と健康、異常と正常、内因と心因・・・・」

「そんなスプリットした二元論なんかどうでもいいんです。」

「私は「生きづらい」「苦しい」という

 ココロとカラダの聲を聴くことにしたんですから。」



そう言うと、照れくさそうに患者さんがほほえむ。







さっきから患者さんがハンカチで鼻を押さえている。


「花粉症?」

「えぇ・・・。」


またさっきのピンクのイメージが拡がった。



「・・・!!」

(そうか、小青竜湯か!!!)


私のセンサーは、最初から小青竜湯を指し示していたようだ。

お互いになじんでくると、知らず知らずに

深層意識での交流が生まれるようだ。



「センセ、腑に落ちました?」

逆に、患者さんから言われて二人で大笑いする。



手持ちの小青竜湯を見せる。


「これ。・・・・ね?!」

「あぁ!!」


コトバや説明を用いないコミュニケーション。

それで通じるようになってくるのも

心理療法の醍醐味かもしれない。




拈華微笑(ねんげみしょう)
仏教用語。心から心に伝えること。 
類:●迦葉の口に笑みを含む●以心伝心 
故事:釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で弟子に説法しようとしたとき、梵王が金波羅華(こんぱらげ)を献じた。釈迦は一言も言わず、ただその花を捻(ひね)っただけなので、弟子たちはその意味が理解できなかったが、迦葉(かしょう)だけが、にっこりと笑った。それを見て釈迦は、仏法の全てを迦葉に授けた。





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梅の香に思い出す





車検のため1年半ぶりに、

以前勤めていた病院の近くのディーラーへ足を運んだ。



3年前、あの病院に勤務し始めた頃に

宇賀弁財天の加護を戴き得度し加行を始め、

ようやく大詰めの核心ともいうべき、

受明灌頂で縁をいただいた自仏の行法に取りかかる。




次第書を見てもチンプンカンプンだった事相も、

なんとなく意味がわかるようになってきた。




そんなことを思っていると、

時間とは、過去とは何なのだろう?という想いが心をよぎる。




自分の中で何が変わったのだろう?




連続しているというレマネンツ的感覚があると同時に、

プロセスが進んだというインクルデンツ的確信もある。




梅の香りに誘われたメランコリックな思い出も、

今ではどこか懐かしい。。。。。






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