認知のゆがみ〜先入観と思いこみ〜 |
|
2006-07-28 Fri 17:05
![]() 「現実」〜この世界の唯物論的な見方である判断の根拠は 自然科学をモデルに発達してきた。 一方、プラトンのイデア学派や瑜伽唯識派は、 現実など儚い夢のようなものだと看破する。 この現実が唯一絶対のものであると了解するのは、 ある意味、underlined assumption(思いこみ)であり irrational belief(誤った信念)のような 「認知のゆがみ」(十二因縁でいう「取」)なのだろう。 たとえば、夢の中の石は自分の外に存在するのか? 夢の中の石は物なのか心なのか? 主観なのか客観なのか? 以前、「抜き加持」を教わったとき、 憑依している霊、あるいは霊障と表現された状態が どうしても理解できなかった。 シャーマニックな世界の consciensus reality(合意に基づく現実)を 共有していなかったからなのかもしれない。 しかし別の状態として「何か」を知覚していた。 それは「気の滞り」あるいは「その人にそぐわない気」として。 それが一番近い感覚だった。 ロールシャッハの図版の中に、蝶を見る人もいれば 人の貌や蛇を見る人もいる。 ロールシャッハの図という事実は一つなのであるが それをどう認識するかが違うのである。 気の滞りであろうと、霊障であろうと、 そこに何らかの違和がある、それだけが事実なのだろう。 しかしそれらが実在する物としてのcontextで語られるとき ある一つの思いこみの世界になっていないだろうか。 分析心理学(ユング心理学)では 異界(無意識のフィールド)のどこかにある セルフ(自己)に自我(的)中心がシフトすることを 自己実現と呼ぶ。 それは生の意味と充実感という肯定的側面の強調であり そこではセルフの闇とのバランスが求められる。 自己実現の過程で、無意識のフィールドに移行した自我中心が 明・善・良の側面しか見ないとき、 ある種の自我主張の強さとして現れる。 いつか書いた千日回峰行者・故小林栄茂師の言葉が耳に痛い。 「修行はすればするほど、悟りから遠くなります。」 |
Fountain of AURA〜オーラの泉〜 |
|
2006-07-27 Thu 20:59
![]() ![]() 久しぶりに、というか、何度目かの「オーラの泉」。 江原さんはどんなやり方で「見(観)て」んだろう?と かなり真剣にアナライズ。 ふ〜ん・・・・なるほどなぁ。。。 たぶん、こうやってるんだろうな?って方法を自分なりに再現。 さっそく試してみました。(^^;) 言葉で説明すると煩雑になるし、瞬間にやってることだけど まず、第一印象を「感じる」。 いろんなファクターが混ざってますから それらの「感じ」をいくつかのカテゴリーに分類。 そのカテゴリーのイメージを色に置き換えて 相手の背景に置いて。一番びったりする色のイメージに変換。 ここまでが内的過程。 そんで、言ってあげるときにはまず色から。 「そ〜ですねぇ、一番目立つのは 青とグラデーションになったコバルトグリーン。 ラグーンの周りの海みたいな、鮮やかな感じ。 それと黄色。ほんのちょっとの赤。」 その後に、色の説明を。 「穏やかでゆったりした気持ちがコバルトグリーンかな? そんでもって、ちょっとウキウキ感が黄色で現れてる。 でも不安というか、なんとなく後ろめたさがあるようで、 それがちょっと赤い色で混じってますね。」 それから具体的な解釈。 「水に縁があるんですね。水辺かな? グラデーションっぽく見えるから、動く水、 そう、河とか渓流が好きなんですね。 水は無意識の象徴でもあるし、 自分自身への癒しでもあるから、 昔、すごく辛い記憶があるんですね。 だから、後ろめたさが完全に払拭できてないのかもしれない。 だけど、それは同時に古いものとのつながり、 そう、お祖父ちゃんとかお祖母ちゃんから すごく可愛がられたのでしょう。 今は気持ちはすごく前向きですよね。 そんな自分でもOKなんだって ようやく肯定できるようになってきたんですね。。。。」 結果はどうだったかって? もちろんビンゴでしたぁ。v(^◇^;) |
対人関係困難 |
|
2006-07-25 Tue 09:56
![]() 職場の人間関係ぎくしゃく…心の問題増加 ナルホドねぇ。 うちのクリニックにも相談が多いんですが 「相手」が問題であることもあるんだけど、 多くの場合、「関係性」が問題になってる。 人との関係性だけでなく、仕事である場合も多いし。 心の教育が云々・・・という議論が出そうだけど そういうレトロスペクティヴなことよりも じゃあどう向き合っていけばいいのか?っていう プロトスペクティヴなことが最優先だと思うけど。 でも多くの人は、ストレス反応を起こし 抑うつ状態になり、それを何とかして欲しい・・・と。 それで職場を辞めちゃって、 新しい職場で同じようなモチーフが繰り返される。 役行者が濁世の衆生を救うには柔和な仏菩薩ではダメだと 金剛蔵王権現を祈りだした経緯が頭をよぎる。 去年の金峯山寺のテーマは「恕」。 対人関係という心の中に移ったイヤな他人の姿を通して 本当にここらでその他人とは他ならぬ自分自身であると 自我(エゴ)のからくりと真っ正面から向き合うことが 人類に課せられているのかもしれないなぁ。。。。 |
プロセスと刹那〜目的論的修行の陥穽〜 |
|
2006-07-23 Sun 20:12
![]() ![]() 有名な禅の「十牛図」。 悟りの「プロセス」をイメージ化したと伝えられるこの過程は チベット密教にも象を用いた似たモチーフがある。 これらの過程は段階を追って深化するものだろうか? あくまでも「私」にとっての実践的な体験のはずが あたかも共通の過程であるかのように錯覚され 時間的な「過程」という錯覚に陥っているように思われる。 世界や宇宙との一体感、あるいは脱自(トランス)体験が 「自己実現のため」とか「全体性の回復ため」 あるいは「悟りのため」という目的論的説明で ひとくくりにされているのが原因ではないか。 有名な比叡山千日回峰行者の故・小林栄茂師は 「修行はすればするほど、悟りから遠くなります。」 とおっしゃっている。 悟るという目的が、修行という手段・方法論に取って代わったとき 因果的思考に陥ってしまい、 自我のインフレーションの餌食になってしまうからだろう。 某教団がそうであったように。 修験に「信を本覚におき、行を始覚にとる」という言葉がある。 行〜体験〜の諸相と多様性が、そのまま本覚であるなら、 これらの十牛図やチベットの牧象図は 悟りや覚りをめざす往相がそのまま この世で生きていく還相でもあることの 刹那の多様性をイメージの形で現したものではないだろうか。 |
天河憧憬 |
|
2006-07-21 Fri 19:05
![]() ![]() 大峯から戻って以来、 弥山に登りたいなぁ・・・という気持ちが大きくなってる。 なぜにこんなにも天河辨財天に惹かれるのだろう? 気がつけばいろんな資料が目に飛び込んでくる。 こんなのを読んでると、わくわくしてくる。 写真 左:天河秘曼荼羅(能満院) 右:金峯山絵巻 |
天河そして大峯峰中修行 |
|
2006-07-17 Mon 21:31
![]() ![]() ![]() さきほど、大峯から娑婆にもどりました。 大峯にあがる前に天河大辯才天社に立ち寄り いつものように拝殿に玉串を奉納。 今回は、柿崎宮司さんが祝詞を上奏してくださいました。 洞川の宿で修験装束に着替え、 龍泉寺で峰中安全を祈願し、夕方5時過ぎ斗藪開始。 お助け水、洞辻茶屋で勤行をしつつ 一路、山上へ。 洞辻茶屋を過ぎたあたりからガスが立ちこめ 風も強くなってきたので、 油こぼし、鐘掛岩ルートは断念し 新道経由で山上の大峯山寺へ。 本堂前で行路の安全を祈り、奧駆け路へ。 投げ地蔵手前で、怪異と遭遇しながらも 無事に小笹の宿へ到着。 小笹の宿の山小屋とその周辺には 先客の登山者がビバーク中だったため 役行者堂の前で小声で勤行の後 仮眠はあきらめて、そのまま行法をやることに。 ここ小笹の宿は惠印の秘密灌頂が行われた 理源大師・聖宝尊師ゆかりの聖地。 その昔は宿坊も建ち並び、繁栄していたとのこと。 今は宿坊跡の石垣だけが当時の名残をとどめるのみ。 ガスが立ちこめる中、聖宝尊師尊像前にビニールシートを敷いて 六器火舍を並べ不動明王法を厳修しました。 一座の行法を終え、しばらく休憩した後、帰路へ。 ガスと風はなかなかおさまらず、 午前5時過ぎに大峯山寺本堂前に戻ったときには すっかり身体は冷え切ってました。 山上ヶ岳山頂にある 役行者が金剛蔵王大権現を祈りだしたと云われる湧出岩と 大峯山寺本堂で御法楽。 内陣にも参拝させていただき、 大峯八大金剛童子御尊像も拝させていただきました。 相変わらずのガスと風で裏行場は諦めて西の覗きへ。 強い風で一瞬ガスが流れた瞬間、 向かいの鐘掛岩あたりが墨絵の世界に見える以外は 一面、乳白色の世界。 ただ重力だけがその遙か先にある谷底を予感させるのみ。 下りの途中、金峯山寺の千日回峰行者とすれ違い、 洞辻茶屋のくず湯で身体をリフレッシュし、無事下山。 心地良い川風に吹かれながら 洞川のお土産屋で一時の歓楽に興じた後、 宿での精進落としの直会(なおらい)で痛飲しました。 一晩明けて、龍泉寺で無事入峰成満の御法楽を捧げ 八大龍王堂にも参拝。 結局、下市口駅から電車に乗るまで 全然雨に遭遇せずにすみました。 合掌! いつか、弥山に登拝したいものです。 <写真> 左:清浄大橋の袂の拝所から山上ヶ岳を望む 中:役行者が蔵王権現を祈りだしたと云われる湧出岩 右:ガスで幻想的な西の覗き |
大峯斗藪の覚悟 |
|
2006-07-14 Fri 09:46
|
大峯修行 |
|
2006-07-13 Thu 14:52
![]() ![]() JTBでチケットを購入してきました。 土曜日から大峯に登るのです。 山上ヶ岳山頂の大峰山寺を越えて 聖宝尊師ゆかりの小笹の宿まで。 土曜日に洞川に入るのですけど、 もちろん、天河大辨財天社に詣でるのは言うまでもありません。 大峯には夕方から登り始めて 小笹の宿で行をして下りてきます。 初めての行者さんと一緒なので 下るときに表行場の西の覗きと 裏行場をやってきます。 高いところが苦手なのですが、 断崖から逆さづりにされる西の覗きは 眼鏡を外すのでそれほど恐怖は感じませんでした。 「ありがたや 西の覗きに懺悔して 弥陀の浄土に入るぞうれしき」 でも命綱なしで断崖の岩に掴まって廻る平等岩は 裏行場中、最大の難所。 去年、思わず下を見てしまい、 あやうく気が遠くなりそうでした。 「平等岩 廻りて見れば阿古滝の 捨てる命も不動くりから」 南無神変大菩薩、オン アビラウンケン ソワカ! 合掌 |
感応〜シンクロニスティ〜 |
|
2006-07-11 Tue 09:27
|
審霊的心理療法? |
|
2006-07-06 Thu 19:21
![]() なんだかフツーの鬱とは違うなぁ・・・ アレキシサイミアにも当てはまらないなぁ・・ パニック障害や身体表現性障害とも違うし・・・ とずっと感じていた患者さん。 でもやっと謎が解けた。 亡くなった家族のカルマを行動で反復してただけ。 現実も夢もずっとそのことを指し示していたのに もう何ヶ月もそれに気づかずに 抗うつ剤や安定剤を処方しながら首をかしげてた。 「悲しいわけじゃないんです。」と言いながら ポロポロと大粒の涙をこぼした患者さん。 患者さんの中で生き続けてた、亡くなったご家族の想いが やっと陽の光を浴びることが出来て随喜しているのか。 浄土変の光明真言を唱え、冥福を祈る。 動悸の症状も完全に消失。 だけど疲れた。。。。 心理療法とは違う、追いかけっこの後のような疲れ。 |
自灯明 |
|
2006-07-06 Thu 10:01
|
夢 |
|
2006-07-05 Wed 09:29
![]() 数年前から見ている一連の夢。 夕べは帰ってからうたた寝しているときに見た。 古い回廊のような構造のアパート。 屋上から4階に階段で下りると、 3階で赤ちゃんを抱いた女の人が洗濯室のようなところに 入っていくのが見えた。 4階のエレベーターを点検し3階に下りる。 回廊のようになった通路を回り 3階のエレベーターも点検。 さっきの女の人が気になって洗濯室に行ってみる。 洗濯室と言っても機械室のような感じて、 その人は赤ちゃんを抱えてすごくおびえて取り乱している。 どうしたのか聞いてもまるで意味がわからない。 機械室を見回すと、古びたボイラーから蒸気がもれており、 パイプラインの中央にベビーカーがある。 近寄ってのぞき込むと2歳くらいの女の子が乗っている。 女の人はこの子におびえている様子。 近寄ったらダメ! そんな叫びが背後から聞こえる。 ベビーカーの女の子をのぞき込むと いきなりその子から足蹴にされる。 逃げて!!!! つんざくような叫び。 空気が不穏な感じに変化している。 機械室を出てエレベーターに戻ると エレベーターがない。 普通の部屋になっている。 あぁ、あの女の人はこの世界に閉じこめられているのか・・・ 4階にもどってみた。 ここにもエレベーターがなくなっている。 ふ〜ん、だから逃げて!なのか。。。 3階に戻る。 機械室では女の人が半狂乱で泣き叫んでいる。 不思議なことにベビーカーの女の子はさっきと同じように 脚だけを曲げた不自然な姿勢になっている。 エレベーターがあったところに行く。 やっぱり普通の部屋だ。 なるほどねぇ、先入観か。 慈救咒を唱える。 ノウマク サンマンダ バザラダン センダン・・・・ 普通の部屋のドアを開ける。 そこがエレベーター。 夢から浮上する。 ・・・・マカロシャナ ソワタヤ ウンタラタ カンマン 慈救咒の後半を唱えながら目が覚めた。 |
月に一度 |
|
2006-07-04 Tue 16:03
|
|
| 東風(こち)吹かば |
|

























