瘴気 |
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2006-02-27 Mon 06:31
![]() ![]() 金曜の午後から、なんとなく調子が悪かったのだが 自分では疲れが溜まってんだろうと思っていた。 「高野山の声明」を聴きに行った後、ジュアンさん他 ミクシィさまご一行で懇親会。 このあたりまでは、平気だった。 翌、土曜日に目覚めてから愕然・・・(-_-;) 神経がピリピリとしてるし、 なんとなく熱っぽいような感じだし、 でも喉は痛くない。 鼻水は少し。 やばっっ!f(-"-) こりゃぁ、B型インフルエンザだな・・・。 素知らぬ顏で教育分析を済ませて、自宅へ戻り そのまま就寝。 寒気と発汗が交互にやってくる。 身体が痛いと言うより、 神経痛のようなピリッとした電流が走るような感じ。 でもそれほど熱は出ていない。 あちゃ〜(>_<) 予防注射したとき、抗ヒスタミン剤を飲んでおけば良かったな。 中和抗体のIgGとIgMじゃなくて、 タマゴに対してIgEが誘導されちゃったから 感染防止効果がカンペキじゃなかったんだ。。。 まぁ、そうは言ってもしょうがないので、 ひたすら身体のプロセスに随い、 寒いときは暖まる、汗が出たら掛け布団を軽くする を繰り返して、約24時間。 だんだんとリズムもつかめてきたところで、 ようやくタミフルさまとロキソニンさまの出番。 熱が上がりきって、ほんのちょっと汗ばんだ頃に服用。 タイミングを合わせて飮むだけで ずいぶん違うものだな、と実感。 さて、今日はまだちょっとダルサが残るけど、 ビタミン補給しながら、 仕事らしいことをやっておけばよかろう。 大体、次のDrが決まるまで・・と言う約束だったんだけど、 決まってるのに、3月末までという話だけが先行しとるのが 不思議でならない。 |
御論議 |
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2006-02-27 Mon 06:17
![]() 金曜日に、紀尾井ホールに 「高野山の声明 法会具現絵巻 御論議」 を聞きに行ってきました。 驚いたのは、その内容の深遠さ!! 清浄本覚は煩悩の影響を受けることがあるか? 初地において、円満なる悟りを極めつくすことが出来るか? 悟りを求める心を起こした時点で、修行という行為を用いずに 即身成仏することが出来る能力を持つ者が存在する。 まるでゾクチェンの問答だな、こりゃ・・・(^^;) |
即身 |
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2006-02-24 Fri 09:39
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法華経サンバ♪ |
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2006-02-23 Thu 16:10
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明恵と聖フランシスコ |
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2006-02-23 Thu 10:17
![]() ![]() 山王教育研究所のサイコセラピーセミナーで 『明恵と聖フランシスコ』と題する 河合隼雄先生の講演があるそうです。 すんごく行きたいんだけど、 あいにくその日はお寺の行事とブッキング・・・(>_<) 誰か、代わりに聞いてきてくださいませ〜!<(_ _)> |
類は友を呼ぶ・・・? |
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2006-02-23 Thu 07:06
![]() 最近、クリニックを初めて受診される人たちが どうも似てきたような感じなんです。 億劫でやる気が出ない・・・ わけもなく涙が出る・・・ 一人になると無性に淋しくなる・・・ そういった軽い抑うつ症状から、 生きる意味がわからない・・・・ 将来、どうなっていくのか不安・・・ 人間関係がうまくいかない・・・ そんな人生の模索をしている人や ターニング・ポイントにさしかかった人まで、 まるで私自身を見ているよう。。。 今、通ってきてくれている人たちが 同じような悩みを持ってる知り合いを 口コミで連れて来てくれるのもあるんだけど、 抑うつポジション的、あるいはスキゾイド的な 私の心象風景にシックリ馴染んでくれる人たちにとっては 居心地がいいのかもしれない。 逆に、こういう深い海のようなホールディング枠だと、 地上に棲むニューローティックな人たちにとっては 掴まり処がなく、深すぎて足が着かない不安を 助長してしまうことになるのかもな。。。。。 と、ちょっぴり懊悩。(-_-;) まぁ、ある意味、しょうがないかなぁ。。。σ(^◇^;) |
痛恨・・・(>_<) |
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2006-02-22 Wed 14:10
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自燈明 |
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2006-02-22 Wed 07:33
![]() 気持ちが堂々巡りをして 不安に苛まれている人たちがいらっしゃいます。 日頃から持っているネガティブな信じ込みによって 変化することを極端に恐れ 身体の症状や心の状態にとらわれて 自らを呪縛しているように思えるのですよねぇ。。。。 呪詛諸毒薬 咒詛(のろい)や毒薬で 所欲害身者 害されようとしている者は 念被観音力 かの観音の力を念じたなら 還著於本人 本人にかえっていくでしょう 苦しみを避けたい、助けて欲しいと願いながら、 かえって苦しみを増してしまってるみたいですね。 ある御者が重い荷物を荷馬車に積み、 泥でぬかるんだ道を進んでいました。 途中で荷馬車の車輪の半分がぬかるみに沈んでしまい、 引っ張れば引っ張るほど車輪はぬかるみに沈んでいきます。 御者は馬の鞭を放り投げ、 ひざまづいてヘラクレスに祈りました。 「ああ、ヘラクレス様、この窮地から私を助けてください。」 するとヘラクレスは彼の前に現れ、こう言いました。 「男よ、そんなところで怠けるんじゃない。 立ち上がってお前の肩を車輪にあてがいなさい。 神々は自らを助ける者を助けるのだ。」(イソップ物語) 「肩を車輪にあてがう」という ほんのちょっとした変化が、 自らのうちにある自己治癒力ともいうべき可能性を解き放ち、 悪循環を断ち切るきっかけになるのでしょうね。 |
高野山の声明 |
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2006-02-21 Tue 11:08
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問わず語り |
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2006-02-21 Tue 06:20
![]() ある行者さまのお話でございます。 お寺にお籠もりになり、 一日三座の行を行じておいでの時でございましたそうな。。。 行法の最中に、お堂の外に人の声がしたそうでございます。 「ごめんくださいまし。。。」 お詣りの人かな?とお思いになられたそうでございます。 行の途中でもあり、振り向くわけにもいかず、 ましてや壇を降りるわけにもいかず、 (参拝されるなら、入ってこられるがよろしかろう・・・) と、そのまま行法を続けておいでになったそうでございます。 「ごめんくださいまし。。。」 ひそやかに呼びかける声に重なって、 今度はガヤガヤと4,5人の中年のご婦人の声が 聞こえてきたそうでございます。 (あぁ、やっぱりお詣りの人たちでござるな。。。) と、行者さまはそのまま珠呂をとり、 五大願をお唱えされておりました。 その時、急にお堂の外の濡れ縁を バタバタと足音が走ったそうでございます。 (!!!!) 声の調子にそぐわない足音に、 行者さまはびっくりなされたそうでございます。 お堂正面のガラス戸を開けるでもなく、中を窺うでもなく、 遠慮がちに 「ごめんくださいまし。。。」 と忍びやかな声と、 他にも数人いそうな、でも参詣でもなさそうな嬌声に 奇妙な感じと戸惑いを抱かれたそうでございます。 (行中だとわかるはずなのに、はて、面妖な。。。) (いやいや、それより地主さんが、 お勤めの最中ですよ、と教えてくれそうなものだが。。。) そういう思いを抱きながらも、次第はすすみ、 大金剛輪から地結にさしかかり、 (え〜い、入って来ませぃ・・・) 参拝の人なら、行中にお堂に上がることも ご本尊さまがお許しになろう・・・。 行者さまは、そうお思いになったそうでございます。 ところが、 四方結の印明を誦された瞬間、ピタッと声が止み、 境内で地主さまが草を刈る音だけが 聞こえていたそうでございます。 一座が終わり、境内で草刈りをしていらっしゃった地主さま 「いんやぁ、誰も来ねぇべ。 あんたが本堂入っとるの知ってっから。」 と、高らかにお笑いになられたそうでございます。 歩き去る足音もきこえず、 声はするのに気配が感じられなかった。 自らの行の未熟さを悔やんでおいででございました。 しかし、もし障碍だったのなら、 ご本尊さまが結界を張ってくださったのだろう。 ありがたいことだ。。。 と行者さまは深々と合掌されて お話し下さったのでございました。 爺にはどこまでが本当の話やら、わかりませぬ。 ただ、行者さまが、何かを体験なすったということだけは、 ヒシヒシと伝わってきたのでございます。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 |
夢と現(うつつ)の狭間には・・・ |
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2006-02-20 Mon 17:15
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山の宗教とゾクチェン |
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2006-02-20 Mon 07:37
![]() 河出書房「空海〜世界的思想としての密教〜」より 中沢新一さんのインタビュー部分より抜粋。 ・・・空海のあの精緻な体系を統一しているのは いったい何だったのでしょうか? 実は僕は、 それがゾクチェンの教えのようなものではなかったか と思っているのです。・・・ ・・・最期まで自分は 「沙門(当時の私度僧=山の宗教者)」たちの一員である と署名し、主張している。・・ ・・・山の宗教というのは、 仏教の外にある、 仏教をはみ出してしまっている教えです。 そしてこの山の宗教の中にあるものを、 空海はおそらく 自分の宗教思想の根幹に据えているのだろうと思うのです。 ・・・非都市的なもう一つの仏教があった。 それは一万年以上の歴史を持つ、 ということは縄文以来の伝統につながる、 野生の宗教の末裔としての仏教です。・・・ ・・・つまり仏教的な思想の極限に出現してくる 自然の光について、 空海は完全には語り抜いていません。 「阿字観」という考えに出てくる 存在の根源である「ア」の教えの方が、 おそらくは密教の果てに出現する 人類の本質である 流動的知性に触れているのだと思います・・・ 観想法もプラーナ統御も捨て去った、 シンプルで自然な境地(ランシン)と同じような境涯が 日本にも縄文の太古より伝承されていた。 弘法大師空海も、「一人の沙門」よりうけた 虚空蔵菩薩求聞持法により、その境涯の一端にふれられた。 そして、生涯、自分は山の宗教者(山伏)の一員であると 高らかに宣言され続けた。。。 ゾクチェンから修験に入った私には 中沢さんが言わんとしているところは、すごくわかりやすい。w |
リセットボタン |
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2006-02-17 Fri 14:21
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病んでる・・・ |
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2006-02-17 Fri 12:05
![]() 滋賀の園児殺傷事件。。。 幼稚園周辺によく不審者が出るらしいという説や、 園児を連れて行く約束をしてた 別の母親の行方が分からなくなっているとか、 様々な憶測が飛び交っている模様。 別の園児の母親が逮捕された。。。 人の心の闇が現れた事件なんだな。 沈鬱な気持ちになる。 不審者っていう言い方は、問題があるかも。。。 一種の都市伝説なのだろうが。。。 |
コトバは伝わるのか? |
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2006-02-17 Fri 07:31
![]() 研究結果「メールの意図が正しく伝わる確率は5割」だって! 「書き手が、メッセージに込めた意味合いや感情は明確だと往々にして思うのは、書きながら自分が意図する意味合いを頭の中で『聞いて』いるからだ」と、エプリー助教授は説明する。 自分の世界に埋没して書いてるって亊か。。。(^^;) 同時に、メッセージを読む方は、そのときの気分や型通りの考え方、思い込みに基づいて無意識のうちに内容を解釈している。それにもかかわらず、被験者たちは、自分たちがメッセージを10回のうち9回は正しく解釈していると考えた。 つまり、自分勝手に解釈してるって亊。(@@;) 結局、ジャルゴンなんだな、コミュニケーションって。。。 井戸端会議みたい・・・・ |
子供のイジメよりも悪質? |
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2006-02-16 Thu 18:01
![]() ![]() “モラハラ”おやじ撃退法 職権などを背景にした、職場における嫌がらせ、いじめ、 暴力を「パワー・ハラスメント」とも言うそうです。 うちのクリニックにも、時々、 相談に見える方がいらっしゃいます。 実は以前、勤務してた病院がそうでした。 当時の同僚医師は、辞めた今でも 病院を相手に闘ってます。 子供のイジメを問題にする前に 大の大人の、大人げない部分に光を当てるのが先決! |
簡単にバレるのに・・ |
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2006-02-16 Thu 17:46
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ちょっとズレてると思うんだけど・・・ |
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2006-02-16 Thu 16:30
![]() 喫煙は病気?治療に保険適応っていうニュース。 たばこが原因の生活習慣病を予防し、 将来の医療費増大を抑えるのが狙いだって。。。 相手のことを思うフリしてるけど 結局、本質が見えてないってことか。。。。 どうしてアディクション(嗜癖)になるのか?ってことの 根っこを見ない限り、どうにもならないと思うんだけど。。。 |
前々から気になってること。 |
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2006-02-16 Thu 09:46
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退行〜原点回帰〜してる? |
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2006-02-15 Wed 07:16
![]() 妙に生々しい夢をみた。 といっても、淫靡な内容ではないのだけれど。(^^;) 先日、伝授を受けた愛染明王のことを 女性から、あれこれ教えてもらってる夢。。。 目が覚めてから、 大学生の頃、『弘法大師と密教美術展』で 西大寺の愛染明王を初めて目にしたときのことを思い出した。 心騷ぐような真紅の身体は 護摩の煤で黒ずんではいるが、 その面立ちや全体から立ち上る威風は周りの空気を圧倒し、 両目と額の象嵌(ぞうがん)は、凛として冴え冴えと貫くように 睥睨(へいげい)している。 古(いにしえ)の修行僧は、この像と対峙し 己の身のうちにわき起こる肉欲の炎(ほむら)を 護摩の炎として、 血を吐くような思いで、直面せざるを得なかったのだろう。 妙適清浄句 是菩薩位・・・ 像に祈り重ねられた700年の思いが 目に見えない衝撃となって 知らず知らずに、肌(はだえ)が粟立ってくる。 この時、初めて密教にふれて 矢も楯もたまらず、高野山で阿字観を教わったのだった。 あれから20年近く。 今ようやく、愛染明王にまみえることが出来た。 鍛えよ 魄の世界に触れてなお ピュアをたもてる魂に 『陰陽師』の生命のコトバが 理趣経とオーバーラップする。 人生の折り返しを過ぎて 少しずつ、もと来た途(みち)を戻っているのかもしれない。 |
加行日記〜その3〜撥遣 |
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2006-02-14 Tue 17:00
![]() 樒(シキミ)を指に挟み 観想で生起し、壇上に勧請した存在を撥遣(はっけん)。 事象を突き抜けて触れていた'そのもの'の蠢動が 一瞬にして霧消する。 永遠のような静寂。 この宇宙の中に、たった一人しか存在しないかのような 哀しく深い静けさ。 ゆっくりと堂の外から 鳥の聲がフェイドイン。 脇机の法螺を取り上げる。 息が音に変わり、 体内と外が法螺を通して一つになる。 お堂を出ると、 風が渺々(びょうびょう)と舞っている。 「この身は常に ニュートラルにしておかねばならない。 可でも 不可でもなければ たとえ周囲で どのようなことが起ころうとも 我が身は風のように 自由でいられる。」 『陰陽師』の中の安倍晴明の台詞。 まるで日常のように 非日常の時が過ぎていく。 |
遺経会・涅槃会 |
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2006-02-14 Tue 10:53
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加行日記〜その2〜念誦 |
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2006-02-14 Tue 10:35
![]() 浄衣を身につけ 鈴掛をまとい 袴を一本独鈷で締める。 腹部から心地よい緊張が広がってくる。 壇にあがり 観想が進むにつれ 壇上の空気が少しずつ変容してくる。 手順にはずいぶんなれた。 流れるようなような・・・ とはいかないが一つ一つの所作がつながっていく。 香煙を挟んで 勧請するイメージと対峙する。 形こそ見えないが 壇上の空気の密度が違う。 目に見える 具体的な現実だけが世界のすべてだと思った瞬間から 人は 目に見えない「命」とか「心」を ないがしろにしてしまうのだろう。 行中は眠りが浅いのか 夢をよく見る。 夢ならまだしも ウトウトと眠りに落ちる瞬間に 遠くから音楽が聴こえてきて 跳ね起きたこともある。 真言を唱えていると 夢があふれてくる。 意識の深い海に沈んでいた 深紅のボールが浮上してきたような感じ。 一瞬、ハッと気がつく。 居眠り? そうではない。 手元の数珠をみると 200くらい進んでいるし、真言もとぎれていない。 意識がなかった? 体は揺れていない。 行によってもたらされるコスモロジーの中に 自分を位置づけて 日常性の境界を越えるためには 日常生活の隅々まで 規律によって統制することが必要なのだろう。 個人がイニシエートされるということは 世界もイニシエートされるのだと思う。 |
加行日記〜その1〜水垢離 |
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2006-02-14 Tue 09:58
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精進潔斎 |
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2006-02-10 Fri 15:50
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男の夢と家庭は・・・ |
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2006-02-10 Fri 10:40
![]() マイミクさんと話していたことを、 ちょっと書かせてもらいます。 もちろん、プライバシー保護のため、 個人を特定できないように配慮しておりますし、 文脈を損なわない程度にフィクション化しています。 ご了承のほど。。。 来談者は女性。ご主人のことで相談。 ご主人は、裕福な家庭に生まれ、 何不自由ない少年時代を過ごし、 父の跡を継ぐ者として嘱望された ヤング・エグゼクティヴだったそうです。 来談者の女性と見合い結婚。 男児に恵まれ、幸せな生活を送っていたということです。 ところがご主人は次第に寡黙になり、 考え込むようになられました。 疲れがたまっているのかな?と心配していたところ、 ご主人から衝撃的なことを告げられたそうです。 子供の頃から、ずっと心にひっかかってたことがあって、 それを追い求めたいと。 来談者は仰天。 この生活になにか不満があるのか、 私や子供が可愛くないのか?と ご主人に問いつめてみたものの、 ご主人の心を動かすことは出来ず、 ある日、ご主人は家出して出奔されてしまいました。 方々を手を尽くして探してみたものの、 ホームレスになって山で暮らしているらしいとか 風の噂ばかりで ご主人の行方は杳として知れませんでした。 6年を過ぎた頃、売り出し中の若い事業家が、 どうもご主人らしいという話を聞き、 人伝に調べてもらったところ、やはりご主人だと言うこと。 出奔前に話してくれたように、 あの人は自分の夢を叶えたのだと思い、 嬉しいやら、懐かしいやら。 すぐにでも飛んでいきたい気持ちなのですが、 ご主人は自分と暮らしていた時と 変わってしまっていたらどうしよう・・と 自分の気持ちを整理することが出来ないと、 逡巡しておられました。 さて、男としてはご主人の気持ちはすごくわかるのですが、 女性からみると、どうなのでしょうねぇ。。。 |
〜波〜 |
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2006-02-09 Thu 22:21
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鏡の法則 |
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2006-02-09 Thu 12:32
![]() 「投影」 自分の無意識にある不快な内容が、 他人の性質であるかのように感じられること マイミクさんのページにも書きましたけど おもしろいサイトを見つけました。 鏡の法則 心理学では、投影とか無意識の布置とかいうんだけど、 難しい話は抜きにして、 どう思います? |
臨床心理士と仏教徒の対話 |
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2006-02-09 Thu 11:16
![]() ![]() ![]() ユング派の臨床心理士である家内に、 BPDの子からチョコレートをもらった話をした。 以下、会話のダイジェスト。 「え〜?!!もらっちゃったの?!!・・・」 「もらったけど、もらってない」 「あ〜ぁ・・・しょうがないなぁ・・・(-_-) もらってないって言っても、受け取ったんでしょ?」 「受け取ったけど、受け取ってない」 「○○先生とか△△先生に、 スーパーヴィジョンを受けた方がいいよ。 どうなるとか、どんな影響があるってのが わかってないみたいだから・・・(-"-)」 「どうもならんし、儂は儂やもん。 スーパーヴィジョン受けたら、何がわかる?」 「それは、基本的にボーダーの子とどう関わっていくか、 俯瞰的な視点をもたないと、 巻き込まれてお互いに潰れてしまうよ。」 「儂はその次元におらんもん。 儂が潰れんのに、その子が潰れるはずがなかやろ?」 「・・・(嘆息)・・・」 家内の言ってることは、わからないでもない。 でもそれはシャバをいかによりよく生き抜くか?っていう 森岡正博「身体の欲望」の世界。 そんな直線的な立ち位置にいるんじゃない。 森岡の言う無痛文明を解体し、転換したあとに立ち現れる 「生命の欲望」を肯定してるだけ。 だから、ボーダーの子にかぎらず、 患者さんと向き合ってるときは、 久松真一博士がおっしゃる基本かつ究極の考案、 「どういう在り方でも、われわれの現実の在り方は、 特定の在り方であり、何かである。 何かである限り、何かに限定され繋縛された自己である。 何ものにも繋縛されない自己、 それをまずわれわれは自覚しなければならない。 立ってもいけなければ、坐ってもいけない。 感じてもいけなければ、考えてもいけない。 死んでもいけなければ、生きてもいけないとしたら、 その時どうするか?」 に住している。(つもり) 現実が自分の外にあり、 自分自身と接する肌の部分で苦悩しているのが、 ボーダーの子じゃないんだろうか? だから彼女は、現実と心とつなごうと、 自傷を重ねるのじゃないか?そんな風に感じてる。 「そういうやり方だと、自我が痛くてしょうがない人が たくさんいると思うよ」 たしかにそうだろう。 自我は痛み、苦しみ、血を流すかもしれない。 でも、自我は元型のコンプレックスとユングもいうように、 自我に自己があるわけじゃない。 だから、自我に奉仕するかぎり、 よかれと思ったことは裏目に出、 災い転じて福となすという、善悪の絡み合いは 無限遡及に陥るのではないかな? 「執着の苦しみ(ドゥッカ)と、苦しむ必要のある苦しみは 別やもん。。。」 「う〜ん。。。よくわかんないけど、すごくユニーク。 心理ではそこまでやらないもん。」 「じゃあ、心理療法の目的ってなに?」 「心が苦しんでる人が、 その苦しみから少しでも楽になれること。」 「じゃあ、良いって思ったところで打ち切らないと、 その後、また状態が悪くなるやろ?」 「そう、そうやって関係を続けていく。 あれっ?それが無限遡及って言ってるの?」 「そ!そんな表面的な善し悪しじゃなく、 苦(ドゥッカ)の根を断つってこと。」 「・・・・・」 たぶん、ここがユングと久松博士の 対談の論点になったのだろうな。 久松博士は繰り返し、ユングに問う。 「精神療法は、人間を悩みそのものから解放しますか、 しませんか」 「人は、集合的無意識から自由になれますか」 この問いは、 「たった今ほかならぬここで、 どうしてもいけなければどうするか」 という基本考案に他ならないのだな。。。 アルコール依存症のダンナさんとの関係に苦しむ クリスチャンの女性が来院。 「私は神じゃないから、人を救うなんてことはできない。 ただできることは、苦しみから解放されるよう祈ることだけ」 合掌! |
一足早いバレンタイン |
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2006-02-08 Wed 14:14
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