診立てと逆転移 |
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2008-07-31 Thu 22:40
![]() 『ちょっと前まで頑張りすぎていたうつのあなたへ』という 某製薬会社のポスターがある。 ここ数年、精神神経学会やうつ病学会で話題になっている 双極性うつに対して、ファーストラインでバルプロ酸を! というのだが、まだまだ双極スペクトラムが周知されているとは言い難く、 うつといえば、古典的なメランコリー親和型を背景とする 大うつ病性障害だと考えていらっしゃる先生方が大部分だ。 先日、何カ所かの医療機関を経て来院された患者さんの一人もそうだった。 某有名なクリニックを受診され、 TVなどで高名な先生の診察を受けられたそうだが、 診断はパニック障害ということでパロキセチンを処方されて 一挙に状態が悪くなられた。 確かにパニック障害は間違いではないと思うし、 パニック障害に対するパロキセチンの処方も誤っていない。 でも、その人の生き様というか、 これまでの経過に対する視線がなさ過ぎると感じた。 明らかに気分の波があり、いい時期と悪い時期の周期性があって おまけにうつ状態も非定型だし、 一番ひどい時のクロミプラミンの点滴治療に対する反応性も 期待されたほどではなかったことから 双極スペクトラムを疑うべきなのに、 その先生は、患者さんが訴えるパニック症状のみで診断を下されている。 一昨年から、双極スペクトラムの患者さんが増え、 ムード・スタビライザーの投与と双極性障害の心理教育、 それから精神療法で何人も卒業させているけど、 一時期、あまりの診立て違いの多さに 私が間違っているのかも知れないと疑心暗鬼になったこともあった。 そんなときに「毒舌セカンドオピニオン」というページを目にして 患者さんに向精神薬という劇薬を処方することが どんなに責任感のある事なのか、 いかに治療者の逆転移を反映するものなのかを改めて思い知った。 |
ガラスの対人関係 |
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2008-07-28 Mon 21:11
![]() 一体、どうしたというのだろう? 苦手な人、気が合わない人なんて 昔から自分の周りに一人や二人いたはず。 言い合いになったり、無視したり。 私も研修医の頃に、ある指導医から冷遇され無視されたことがある。 間違った事をやって叱られるのは仕方がない。 でも、理由もない言いがかりに対しては、 たとえ相手が上司であっても、それは違うと ちゃんと言うべき事は言えていた。 だから無視という誠意のないコミュニケーションで返されたのだろう。 自分が指導する立場になった時は、 キビシイと怖れられていたという話を後輩から聞いたが、 どんなに厳しく叱りつけても こいつはこういう一面もあるんだと思うようにしてたし、 叱った後は必ず褒めるようにしていた。 しかし、最近の患者さんを見ていると、そうはいかないらしい。 パワハラやモラハラという言葉が流行するくらい 対人関係、特に上司との関係は容易に破綻するようだ。 知り合いのカウンセラーさんから紹介があった。 上司が自分に辛く当たる、無視されるなどのパワハラで わけもなく涙が出たり、会社に行く気がしないと。 心療内科を受診し、抗うつ薬と抗不安薬を処方され、 うつ状態だから仕事を休むように言われたそうだが 休むともう働けなくなる気がするということで 休みたくないし、クスリも飲みたくないと。 カウンセラーさんからは、自我が弱そうなので 補強出来るようなメジャー(抗精神病薬)をということだったが、 正直、受けようかどうか、迷う気持ちが強い。 パワハラやモラハラは対人関係の問題であり、 多くの場合、現実に起きていることに対する 二者二様の解釈が異なっていることと 期待と要求のズレが見えなくなっていることが原因なので、 相手、あるいは自分が病的でない限り コミュニケーションの回復を図るのがスジだろう。 それが適わないくらい苦しいのであれば、 クスリを服用するということも 状況を変えようとする努力の1つではないだろうか。 一度休んで向き合う体勢を立て直すのも方法だろう。 ところが、クスリも飲みたくない、休むのは後が大変という事では 現状を変えるのはムズカシイのではないだろうか? というよりも、クライアントさんは現状を変えることに すごく消極的なのではないか?という気がした。 自我が弱いのではないと思う。 変化に対する耐性が低いだけなのかもしれない。 おそらく、これまで辛い出来事を自分の心というオブラートで包み 見ないようにして生きてこられたのだろう。 それが上司との関係という大きな出来事に遭遇し 包むだけのオブラートの余裕が無くなり うつ状態になったのではないか?と想像出来る。 おまけに、過去の未整理の情動記憶が想起され わけもなく涙が出るという連結された情動反応を呈しているのではないか。 ところが、このときにエピソード記憶が想起されていないのは もしかすると解離性健忘と同じ状態が このクライアントさんに起きているのではないか? 電話を受けながら、そう考えたのだった。 解離性同一性障害のような華々しい解離ではなくても、 このような抑圧の質的変化による解離的状態は 日常臨床で目にすることが多くなってきた。 香山リカさんが『多重化するリアル』で述べたように 日常的な解離が蔓延する時代になっていることを実感する。 |
今日のリアリティって? |
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2008-07-27 Sun 18:29
![]() ある学会で日本でその名を知らない人がいないくらいの カリスマ精神科医であるやんごとなき御大の招待講演を行われた。 その中で内海健先生の『うつ病の心理』を絶賛され、 この本に書かれているように「大きな物語の喪失」が うつ病からの恢復を困難にしていること、 また安易な抗うつ薬の投与が遷延化を促進していることの憂慮を話された。 たとえば、いつまで抗うつ薬を使うのか、という物語が失われることで、 10歳でうつになったら、あと75年クスリを飲み続けて うつから開放された人生を過ごす方がいいのか?と 逆説的な問いを突きつけられた。 御大が講演の中でチラッと触れられた ディスチミア親和型のうつ病は感情障害、 双極は気分障害というフレーズも目から鱗が落ちる感じだった。 実は、当日の朝、こんな夢を見たのだった。 2ヶ月ぶりに来院されたご夫婦。 寝たきりのお婆ちゃんのCTを持ってこられ、 解離性大動脈瘤は血栓化している。 これは年齢から考えても手術はしなくてもいいでしょうねぇとお伝えすると 担当の先生も手術せずに様子を見ましょうとおっしゃったと。 2ヶ月ぶりに来院されたので、薬はどうしていたのか?とお聞きすると 付きっきりで見てないと周りに迷惑をかけるから この2週間はすごく大変だったと。 でも寝たきりになってしまわれたので、 クスリは減らしましょうとお話したら、 このままだと大変だからおとなしくして欲しいと。 カチンと来た。 向精神薬を使うっていうのは、相手の人生に責任を持つということだ。 治療者や家族のために使うのぢゃない!と 息子さんの胸ぐらを掴まんばかりに息巻いたところで目が覚めた。 御大のお話と何かしら符合する処があるような気がする。 何かの本で「無痛文明」というフレーズを見かけた事があるが、 まさに現代は苦を回避し快の追求に明け暮れる 葛藤耐性に乏しい口唇期に退行した感がある。 失恋したといっては抑うつ状態が遷延し、 上司から注意されたといっては会社を休職する。 「自分」という感じを育てるはずの苦しみ・痛みという感覚は 見ないようにすることで分割・回避され、 出来事としてのリアルが時間の流れ〜体験・経験〜として根付く アクチュアリティが薄れてきているのではなかろうか? アクチュアリティは現象とのあいだの絶え間ない inter- and/or intra- actionによって生じる“こと”だが、 リアリティとアクチュアリティが乖離すると ファントム理論の安永浩先生がおっしゃるように 主観性をおびた外空間定位(原投影)が浮き彫りになり、 主体の拡散、彼我未分、表象の知覚化などを特徴とする状態を呈しやすくなる。 この離隔や意識変容はとりもなおさず離人感や解離で見られるものであり、 記述的症候では類似しているように思える中安信夫先生の 初期分裂病(統合失調症)でもみられる。 個人的には、笠原嘉先生が提示されたように 自我の分割が、境界例や自己愛、軽症スキゾフレニアでは垂直分割、 水平分割での抑圧の質的変化が解離と考えているので、 区画化された自我がアクチュアリティを取り戻す試み?の1つとしての ディスチミア親和型や解離などの症状なのだろうと考えている。 御大のお話を咀嚼していると、解離の事を書きたくなった。 |
関係性とコミュニケーション |
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2008-07-22 Tue 23:02
![]() ある会社の産業医の先生から電話をいただいた。 別のクリニックにかかっている患者さんを紹介したいとのこと。 話を伺うと、そのクリニックでは話も聞いてくれないし、 うつ状態で仕事を休むように言われるだけで、診断書も書いてくれないと。 以前、その会社で働いている方について 業務調整のお願いを送ったことがあって、 これだけ患者さん主体に考えてくれるクリニックならということで 紹介したいということだった。 気持ちはありがたいのだけど、お断りした。 他のクリニックにかかっていて、話を聞いてくれないから 転医したいという同じような申し込みが多い。 うちのクリニックを受診することで、 その患者さんの思いは本当に満たされるのだろうか? 相手の思いを察して配慮しあう事を期待する、 あるいは自己主張せずわかってもらいたいという期待が 日本的な関係やコミュニケーションの根底をなしている。 言語化しない限りは伝わらないという自明の前提を持つ 欧米型のコミュニケーションとは正反対である。 岡野先生は『解離性障害』の中で「関係性のストレス」という 概念を提言されているが、まさに至言である。 対人間(インターパーソナル)関係の中で コミュニケーションが介在する対人(イントラパーソナル)関係は、 当事者同士の「関係性」の問題である。 話を聞いてもらえないのは、 話を聞いて欲しいと伝えても聞いてもらえなかったのか、 伝える雰囲気でないと感じているのか、あるいは、 伝えても聞いてもらえないと思っているだけなのか、 まずそれが問題である。 伝えても聞いてもらえなかったのであれば、 コミュニケーションが成立していない不誠実なあり方だが、 黙っていてもわかってもらいたいという期待だけが 表現されずに燻っていることがほとんどである。 そのようなコミュニケーション方法に慣れ親しんだ人が うちのクリニックに来ても、結果は同じであろう。 関係性の問題はどちらか一人が原因なのではなく、 当事者が共同で築くものであり、 その人の投影を受けて同じような関係性が再現される可能性が大きい。 たとえば、こういう事も例として挙げられるだろう。 AさんとBさんは仲がよいが、AさんとCさんは対立関係にあるとしよう。 Bさんから見るとAさんはよい人に見えるが、 CさんからはAさんはトンデモナイ人に見えるだろう。 よい人でもありトンデモナイ人でもあるAさんという人がいるのではない。 AさんとBさんの関係性、AさんとCさんとの関係性が Bさん、Cさんに別人とも思えるAさんを見せているに過ぎない。 もしかすると、診断や診立てもそうかもしれない。 |
病態と病態水準〜心理と精神病理の齟齬〜 |
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2008-07-21 Mon 14:36
![]() 病態水準についての話が食い違うことを感じることが多くなった。 スーパーヴァイザーは、妄想があれば精神病圏としてしまうが、 私自身は、自我違和性に対する自我側のあり方によって 同じ妄想(念慮でもかまわないが)でも 神経症圏から精神病圏まで広く分布していると考えている。 なので、同じテーマを話していても なんとなくズレている感じを受けてしまい、 言葉の意味と定義、用法にさかのぼって議論しなくてはいけなくなる。 こういう事があった。 うつ病やうつ状態の患者さんの精神療法の過程で患者さんが表現する 「虚無」が話題になった。 虚無は母と子の関係性のあり方のくり返しであり、 セラピストとクライアント関係のあり方への問題提起であるという スーパーヴァイザーの意見には納得しかねた。 スーパーヴァイザーが話題にした発達論的な虚無は 見捨てられ不安であり、妄想分裂ポジションでの分裂の隙間であり、 確かにそういう一面もあるのだとは思う。 しかし問題にしたのは、うつ病患者での虚無 〜内海健先生が『うつ病の心理』で述べているような〜であり、 それを見てしまうと自らの足元が崩れ去るような存在の不確かさ、 同時に自己という「意識の連続性」の不連続性でもあった。 こういう話題になったのは、次々と枝葉に別れていく自生思考を持った患者さんを これが前駆期統合失調症なのか解離性障害(DDNOS)なのか相談している時で、 スーパーヴァイザーの意見は統合失調症だった。 抗精神病薬を使って、よくなってくると抑うつ状態になる。 その時に、ちゃんと抱えられるかどうか、という話から ポストサイコーティック・デプレッションでも うつ病やうつ状態の人が垣間見る「虚無」を感じるのか? という展開になったのだった。 私は上記の患者さんは解離性障害と捉えているので、 離人感や自生表象、気配敏感症状、聴覚過敏などがあっても ちゃんと体験の内容を聞いてあげることが治療につながると考えているが、 スーパーヴァイザーは、統合失調症では体験の内容を話題にせず、 むしろ抑圧すべきであるという意見だった。 ということは、心理療法では、診断あるいは診立てによって 取り組み方が異なるということなのであろうか? その人のありかたそのものを抱えるということと、 診断によって、取り組むものや取り組み方が違うということは 矛盾しないのであろうか? 私たちはクスリという第三項を使いながら共視関係に持って行けるが、 心理療法では、それをメタスキルで補わなければならないところが 違うのかもしれない。 いずれにしろ、心理と精神病理では、 体験様式の把握の仕方の違いが、こういう齟齬に現れているようだ。 |
ケースカンファランス |
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2008-07-16 Wed 22:33
![]() 巧い人のケースレポートを聴いていると 空間が面接室のような雰囲気になり 心地よいヴァイブレーションに包まれ あたかも目の前でケースが繰り広げられているかのような 心地よい共同幻視に包まれる。 先日のケースカンファランスもそのようだった。 表出の出来ない患者(クライアント)さんに ただしっかりと寄り添ったセラピストの態度は、 まるでヘレン・ケラーがサリヴァン先生から 「WATER」のアクチュアリティを通じて世界と触れたのと同じような 双方の感動が伝わってくる。 まるで母子関係のように満足と安全によって特徴づけられた イントラ&インター・パーソナルな関係が コトバを越えた「観の眼(メタスキル or 共視)」をともなって ゆったりと拡がっていくさまを聴いていると、 テクニックではない結果としてのミラーリングとはこういうものか・・・と まざまざと思い知らされた。 |
解離機制によるストレス対処と憑依およびその治療 |
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2008-07-06 Sun 19:35
![]() ストレスとなるようなイベント体験は、通常、 時間の経過とともに過去の記憶に伴う苦痛は薄れていく。 おそらく、エッセンスである経験とイベント記憶と感情のパーツに消化され 各々が脳内のいろんな部分に蓄積されることで 時間とともに感情や記憶が流れて風化していくように感じるのだろう。 ところが、である。 中にはこういう処理が出来ないため、 とりあえず自我の袋で包んでイベント体験のまま放置されているらしい。 このような対処では、一時的に苦痛は回避されても、 その感情に伴う苦痛や葛藤は消化されることがなく、 類似体験を繰り返すことで葛藤が蓄積し、 それを包み込み周縁化するために自我はどんどんやせ細り、 心理的負担は大きくなり、ストレスに耐えられなくなる。 このような状態では、「“今・此処”にいる私(主人格)」の中に 「過去のままのもう一人の私(交代人格)」が共存することになる。 このような典型的解離性障害ではなくとも、 プチ解離的なストレス対処(内在性DID)は多くの人で見られ、 自問自答(あるいは脳内会議)をすることが多いという。 今日のセミナーは、こういう内在性DIDに対する 『タッピングによる潜在意識下人格統合法(USPT)』だった。 要はタッピングにより交代人格を呼び出し、主人格と統合する方法。 プロセスワークの1次プロセス・2次プロセスと技法的には共通しており、 ナラティヴを紡ぎ出して統合まで導き、肩甲骨周辺へのタッピングで統合する。 面白いのは、最後に、基本人格を成長させ、主人格をその中に入れてしまうやり方。 プロセスワーク的には、2次プロセスを生きるということであろうか。 エッジ(抵抗)を越える時には、意識レベルを下げるタッピングの方が やりやすいのかもしれない。 また、統合の時の肩甲骨周辺(特に風門部)へのタッピングは 抜き加持の最後にも風門を閉じる作法があるように、 セラピーの構造枠として有効なのかもしれない。 ただ、”憑依人格”とされたものは、本当に霊かどうかは定かでなく ビデオを見ている感じでは、単なる自我から遠い人格であるように思えた。 なぜなら、ニューエイジ系が言うような頻度で憑きものとしての憑依は起きないし、 輪廻する主体が人格であるのもあり得ない(多くは残留想念?による被影響体験)。 USPTでいう浄化という「光の天国に送る」作業は、 単なる二元論の中への送還、つまり輪廻の中に戻しているだけなので、 USPTは「困難があっても自分で乗り越えていく」覚悟のない人には適応とならず、 また統合後もそれまでの回避・解離的なストレス対処の習慣をやめない限り いつしか複数の交代人格を作っているという輪廻に戻ってしまうからである。 これは祈祷の場合も同じで、「やってもらう」というお任せ感覚では験が出ないので 祈願内容によって、ある一定期間の写経や勤行を課す事が多い。 つまり、交代人格の統合が治癒的に働くのではなく、 モチベーションと治療者との共同作業が奏功するのだろう。 |
家族面接 |
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2008-07-02 Wed 23:21
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変化〜〜メタモルフォーゼ〜〜 |
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2008-06-30 Mon 21:58
![]() もうどのくらいになるのだろう。 サナギから孵化したような患者さんを目の当たりにして 中断の時間がゆるゆると埋まっていく。 おそらく自分の中でインキュベーションを繰り返し 充分に熟成が進んだので再生してみた。。。 まさにそんな感じだった。 一方、中断の時間が腐敗につながる場合もある。 外界との緩衝剤として産出された適応障害としての症状が 次第に自我違和的な神経症的症状になったところで 患者さんは変化を拒絶した。 症状は次第に自我を浸食し、違和感が薄れ、 「今のままで構わない」と促進する内服も拒否し、 「薬を飲むと頭がおかしくなる」と言い、 パーソナリティ障害的に症状と分かちがたく融合してしまった。 連れ立つ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり。 その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一羽は食らずして注視す。 甘き菩提樹の実を食らわせたの、自我の策略だったのか。 |
抜き加持と大般若理趣分転読祈祷 |
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2008-06-19 Thu 23:19
![]() 精神疾患というか、心理状態はうつるんです。 “映る”というか、“遷る”というか。。。。 相手の無意識に近い精神状態の影響をモロに受けて、 同じような精神状態(時には身体症状)になることがあります。 転移・逆転移やエナクトメント、ドリームアップと言ってもいいし、 二人組精神病という概念もあるくらいです。 何故?というのはわかっていません。 電話でもそうなりますから、影響を受ける、巻き込まれるというよりも、 憑くという状態が一番近いと思います。 古来より、生き霊とか想念が‘憑く’と言われている状態です。 サイコセラピーでは“ソレ”をコトバというカタチにして、 言語化することで影響力を無化しようとする方法で対応します。 このような状態には加持や祈祷がそれ以上に有効なのです。 加持や祈祷というセラピーでは、 “ソレ”に生き霊や想念という仮象(カタチ)を与え、 本来の空性に帰着するという方法をとります。 パーソナリティ障害外来の日、スタッフの一人が 肩から頸に押し広げられるような、ねじ込まれるような痛みを訴えました。 その日は凝りでしょう・・・と済ませたのですが、 それから数日間、痛みのために睡眠も妨げられる始末。 おまけにパーソナリティ障害系の患者さんと話すと痛みは強くなる。。。 2種類の鎮痛剤と漢方を併用して飲んでもらいましたが、 痛みは治まりません。 しだいに疲弊して、仕事もままならなくなってきました。 ぢゃぁ、加持をしましょうか・・・という話をした帰り、 電車で「あっち行け!、あっち行け!」と念じていたら 少しは軽くなったそうです。 お昼休みに抜き加持と大般若理趣分祈祷をやってあげました。 護身法、洒水加持、結界と常の如く前方便の後、 ベッドに横になってもらい抜き加持から。 荒神除罰大事の後、火界咒を唱えながら眼でスキャンしてみると・・ あんまり反応がなく、いくつか気の滞りがある程度。 潜伏していることもあるので、掌で邪気(?)をスキャンしてみると、 あれっ?というくらい何もない。 わずかに残滓を感じるだけで、憑いている本体がいない。 しょうがないので光明真言を唱えながら気の鬱滞を取り除き、 開いていた風門を閉じ、三種の九字を切って抜き加持は終了。 引き続き、大般若理趣分祈祷。 転読していると、インクルージョンされたかも?という感じがあったので 念入りに理趣分で加持をしてあげました。 終わってから、痛みはほとんど取れてスッキリしてました。 でも、午後からいらっしゃった患者さんの一人に反応して 「ちょっと顔を出した感じがした」と言ってましたから “それ”の一部が自我に組み込まれたんだと思います。 もっと早くやってあげればよかったと後悔しましたけど、 今度、顔を出した時は首根っこを捕まえる感じの 切除手術(加持)が必要になるでしょうね。 |














