ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー (%ad2> 心理学 東風(こち)吹かば

東風(こち)吹かば

気に入らぬ 風もあろうに 柳かな

対人関係療法(IPT)セミナーの後で







以前より興味があった対人関係療法のセミナーを受けてきた。
本で読んだだけでは、ボンヤリしていた輪郭が、
実際に講義を聴くことによって、ハッキリしてきた。


こういうことだろうか。

仕事や学校という役割的人間関係の変化と
家庭という存在的人間関係の不和を考えた場合、
2つの世界との対立で親和的関係が喪失し、
その状態が、自分の(脳を含めた)身体との対立として
「今・此処」での「生」が揺らぎ、危機に陥った状態が
いわゆる精神的な障害として現れている。

その対人関係問題に対処する方法を見いだし、
対処法というスキルを身につけることで
症状のみならず、対人関係も改善していく。

上記は病因論的に書いてみたが、
病因論を云々しているわけではなく、
相互に影響を与えるという事実であり、
この方法は文化に特異的ではなく、人間に普遍的な方法で
スキルを身につける教育的治療と言えるのだと思う。

だからこそ、高いモチベーションを要求される
認知行動療法に比べ脱落率が低く、
認知を問題にしないにもかかわらず、
終結後には認知が変容し、行動パターンも変化するし、
治療終結後にも、スキルを活かし続けることが出来るのだろう。


初期には転移解釈をしない精神分析のようであったそうだが、
確かに治療者に要求される注意深さは
治療者エナクトメントと通じるものがあった。

しかしなによりも、コフートの自己心理学や対象関係論がいうように
共感と理解という充足感の欠損に対して、
それをインキュベートする他者としての治療者の存在と
その実践が自己の修復に関与するのだろう。

つまり、下坂幸三先生がおっしゃる
「常識的心理療法」〜真の意味での支持的療法〜であり、
鏡のような自己である他者をはぐくむ方法なのだなと実感した。




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プロセスワークの瞑想法







このところ疲れていたのだけど、
今日の「仏教心理学セミナー」はなかなか面白かった。

教育分析ではインナー・ワークになることもあるが
その瞑想バージョンといったところか。



自分の中にチャンネルを通してわき上がってくる感覚を
フォーカシングのようになぞりながら
自我親和的・自我違和的なプロセスとともに
contemplateしながら抵抗にもサティを入れて、
ひとつひとつのプロセスを繰り返していく。



変容・・・、あるいは受容が目的なのか?


ゾクパ・チェンポでいうニェメ(止観双修)とも違うし、
チャクチェンに似てるけど、放擲しないし。


此処まで書いて気がついたが、世俗諦の瞑想だからだ!
トンパニ(空性)やテンチュン(縁起)、デワチェン(大楽)なしの。

まぁ、行者として法を使うにはちょっとやり方が違うかも。
心理療法だけでやるなら別だろうけど。
しかしながら、1つの心理学をしっかり持っておくことは、
他の心理療法を学ぶ時に役に立つなぁとは思う。
法の世界でも「一法は萬法に通ず」と言うし。




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プロセス指向仏教心理学ワーク〜その2〜






今日はパノラマ的瞑想と集中型の瞑想の注意点から。
パノラマ的瞑想はシャマタ(シネー)なんだろうか?
それともヴィパサナ(ラントン)なんだろうか?
ゾクチェンでいえば、ナムカ・アルテーに相当するのだろう。
そういう理解で。

インナー・ワークのやり方は、注意を漂わせるパノラマ的瞑想から
かすかにひっかかるもの(フラート;flirt)をつかまえて、
その中に入り込んで一体化する(集中型の瞑想)。
ここが、仏教やゾクチェンなど執着を手放す修道プロセスと
セラピーを目的とするプロセスワークとのちがい。
ナルホド・・・。
それで、プロセスが終わったらまたパノラマ的瞑想に戻る。


フラート(flirt)に対するには明晰性・瞬敏性が必要と。
瞬間芸は修験もゾクチェンも同じだなぁ。


フラートは明鏡止水の境地と似てるのか・・・と思いながら聞いてた。
夢の次元のフラートはフロイト派、特にビオンが
エナクトメントと表現しているらしい(未読)。

ドリーミング・レベルのフラートは、種(エッセンス)が発芽し
でもまだ地上(夢の次元)まで芽が出ていない状態と。

たぶん、自分なりに理解したところでは、
ゾクチェンで言うロルパの中の動きを
ドリーミング・レベルで
フラートとエッセンスという言葉で表している様子。

地上に出た芽、地下の発芽したばかりの芽、種というモチーフでは
おそらく入れ子構造が繰り返されるのだろう。
定義というか譬えがモノという概念の制限を受けるのだ。


師匠からいただいた「阿・鑁・吽」の柱源口伝での理解の方が
ゾクチェンよりわかりやすい。


武道の達人が言うところの「殺気」・・・
みたいなものを「感知する動き」をフラートというのだろう。

で、フラートと現世利益のワークは面白かった。
これって、辻占と同じだな。



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プロセス指向の家族セラピー

DSCN0667_convert_20080526061721.jpg



家族の中に現れるゴースト・ロール(というコンステレーション?2次プロセス?)は
プロセスを解離、分断するもので、まるで2次プロセスのように隠れている。
それを見抜いて、その場に持ち込んでみる。

セラピストがドリーム・アップされて無意識的に体験されるエナクトメント
(センシェントな感覚=フォーカシングでいうフェルト・センス)は、
セラピストークライエント間の相互作用を解明する1つの技法として重要。



しかし、このようなエンタングルメント(局在性の原理に反して影響が伝播すること、
つまりある粒子の状態は確率的にしか予測できないはずなのに、
一方を観測したとき他方の状態が決まる)している状態を知覚する
アウェアネス(気付き)をキャッチするには、
セラピストはそれまでの薫習にまみれた自我の状態を一旦解体し、
知覚過敏に自らを置く必要がある。


これらの影響伝播、知覚気付き亢進状態は初期統合失調症にも似る。
ネイティヴ・インディアン、タオイズム、チベット仏教などの
タームを借り入れて説明することには異論はないが、やや牽強付会な面もある。

とくに、修道論を無視した用語だけの借用は、
誤解だけでなく、生きていきにくい感じを抱えていたり、
内面に自責感、無力感、空虚感を抱えていたり情緒豊かで疎通性も十分だが、
どこか不安定でバランスが悪い無力性自我のヒトが、
自己治癒のためにセラピストを目指した時に、致命的ですらありうる。


また臨床の場ではドリーム・アップされて起きてくるエナクトメントを捕まえても、
それがPt(またはCl)あるいは家族の自我に受け入れられなければ
無意味であるどころか、かえって侵襲的なのではないだろうか。

「記憶なく,欲望なく,理解なく」というビオンの言葉のように、
治療者の個人的な欲望(辻褄合わせ、願望、見解などの逆転移)に
とらわれない態度を保ちつつ傍らに寄り添う必要があるのではないか。


私が家族面接を行う場合、面接の予定を決めた時点から
すでに始まっていると思っている。
イメージの中であれこれシチュエーションを考えては壊し、
イメージしては消去することを繰り返し、
まったく前行(ンゴンドゥ)でやったマンダラ供養に似てるな・・・と苦笑しながら、
当日には無心に近い状態で家族とお会いする。
初回は挨拶を交わし、近況をお伺いすることでほとんどの時間が過ぎてしまう。


ここまで書いて、何にイライラしていたのかハッキリした。

実はセミナーの途中から不愉快な気持ちで、イライラしていたのだ。
それは上記の理由が1つと、もう一つ、
治療者側の逆転移の使い方が欧米的(たとえばロールプレイを行ってもらうなど、
ラポールが確立してからでないとムズカシイ)なので、
家族「療法」という言葉に抵抗があるのかもしれない。

やはり、家族「面接」から始まって(ミニューチンのいうジョイニング?)、
言語による葛藤を明瞭化することで、それまでノン・ヴァーヴァルだった
家族内コミュニケーションに次第に変容が起きてくるというという
地道なやり方が性に合っているようだ。




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イマジネーション・ワーク〜教育分析の一齣〜

syoyaku.jpg


ここしばらくの心に懸かっている患者さんの事を一頻り相談した後、
「今、気持ちの底にどういう感覚がありますか?」とスーパーヴァイザー。

なんとなくもわっとした感じが蠢いている。
それを観じていると剣山に載った風船のようなイメージが。


「その接しているところを十分に感じてみてください」


剣山に触れているような、そっと押されているような。



「それに『生臭さ』を振りかけてみてごらん。」

(!!!)
戸惑う。
いきなり思考が巡りはじめる。
(生臭さ?!)
(えっ?!!)
あやういバランスの剣山と風船の関係が壊れることに抵抗が生まれる。

(どうしよう?)

意を決して捌いた魚の血腥い[じご(臓腑)]を掛けてみる。


[じご]を掛けたところから、風船が盪けはじめた。


剣山に載った器のような風船。
[じご]が溜まる。

剣山を風船の器に入れてみる。


剣山に梅の枝が一本。
溜まった[じご]の表面には錆のようなギラギラが浮いている。


梅の枯れ枝がゆっくりと[じご]を吸い上げはじめた。

染みこみながら、また深く息を吸い込むように[じご]が上がっていく。


・ ・・つぅるり、つぅるり・・・

・ ・・さぁくっ、さぁくっ・・・



[じご]の流れが、脈動になっていく。


・ ・・さぁくっ、さぁくっ、さぁくっ・・・

脈動が搏動になり、どぉろりとした深紅の体液が枝の隅々まで、
そして花弁の一枚一枚まで染めていく。

芳香なのか、体温なのかわからない
むぅっとした濃密な空気が梅の枝を覆っている。


(生きて・・・いる・・・)


「いぃねぇ、血がかよったんだねぇ」とスーパーヴァイザー。

「なんか、やっと生き返った気持ちです」

「すごくいいねぇ、錆が血になったんだねぇ」

「でも、なんで『生臭さ』なんですか?」

「なんとなくフッと浮かんだんだよ」



教育分析が終わっても、ずっと心に懸かっていた。

凡聖不二なのか。。。。



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シャマタとヴィパサナ

a17.jpg




ミクシィからの引っ越し完了。
下書きとして保存されるので、アップするまでタイヘンでした。
でも、これまで書いたものを読み返していると
ずいぶん変わったようで、変わらないようで、
あんまり進歩がないのかも。


宿題のヴィパサナと静寂の瞑想の記録
さてどうしようか、と思いつつ、
ゾクチェンでやってた短いトゥンをやってみました。

シャマタ(シネー):しばらくやってなかったので、
         次から次に思考が流れてきて、鎮まらない感じでした。
ヴィパサナ(ラントン):わき上がった思考をワンテンポ遅れて言語化してるので、
        思考だけでやってる感がありました。

やっぱりヴィパサナを深めるには、シャマタが必須だと思います。
そうじゃなければ思考(言語)の虜になってしまいそうです。


ウィマラさんはヴィパサナだけでも効果的だと言ってました。
心理療法の世界ではマインドフルネスと呼ばれ、
弁証法的認知療法の骨格になっていますが、
たぶん、言亡慮絶をめざす行と
言語化を中心にする心理療法の違いなのでしょう。



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仏教[的]心理学クラス〜第1回

lotus



仏教[的]心理学クラスの防備録の一部

本の紹介・・・「日本の仏教」
       「禅と精神分析」は読んでみようかな?
       「コスモスとアンチコスモス」は手に入らないし・・


アウェアネスのための瞑想のテクニックに必要なこと
 ・我を超える・・・・無常(プロセス指向)
           空/縁起
 ・理性を使う
 ・仏教の歴史を知る


宿題
 ・5分間のヴィパサナー(サティを使うこと)
 ・15分の静寂の瞑想(シャマタ)
 ・感想を書く


加行をやってるときは、日記をつけるように言われてたけど
なんとなく筆無精で書けなかったので
ブログを日記代わりに。


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風の息







教育分析の面接室に入りソファーに座ると
急いで来たためか、呼吸が荒くなっていた。



「すこし瞑想してみようか・・・」



そんな状態を見越してか、スーパーバイザーから
そんな言葉が投げかけられた。






吐く息と吸う息を意識しつつ、短い止息を交えながら
阿字を観想する。。。。


目に映る部屋の中がブルーの吽字に満たされた空間になり
阿字がキラキラと揺らめいている。




呼吸が落ち着かない・・・・




スーパーバイザーの肩越しに見える窓の外に
小枝が揺れている。



この1週間、忙しく振り回されちゃったもんな・・・

こっちに取りかかると、あっちが気にかかるし・・・・



「アウェアネスを使いながら、その揺れを感じて
揺れと一体になってごらん・・・」



左右に揺れ動いていたカラダが、動きそのものになる。
動くという力がしみ込んで来るように感じる。



「その力の感じを感じでごらん。どうだい?」



揺れる・・・・・ゆれる・・・・・




カラダを「動かしている」から、
「動かされている」、そして「動いている」に変わってくる。



ときおり、スーパーバイザーが灯した香の薫りが届いてくる。



しみ込んできた力は、息となって
何事もなかったように動いている。



     緩急・・・・・自在・・・・



「このセッションの気づきが、何か役に立つかもしれないね」







教育分析が終わってからご挨拶に行った豊川稲荷では
すでに桜の花がほころび始めていた。







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認知のゆがみ〜先入観と思いこみ〜






「現実」〜この世界の唯物論的な見方である判断の根拠は

自然科学をモデルに発達してきた。



一方、プラトンのイデア学派や瑜伽唯識派は、

現実など儚い夢のようなものだと看破する。



この現実が唯一絶対のものであると了解するのは、

ある意味、underlined assumption(思いこみ)であり

irrational belief(誤った信念)のような

「認知のゆがみ」(十二因縁でいう「取」)なのだろう。



たとえば、夢の中の石は自分の外に存在するのか?

夢の中の石は物なのか心なのか?

主観なのか客観なのか?




以前、「抜き加持」を教わったとき、

憑依している霊、あるいは霊障と表現された状態が

どうしても理解できなかった。



シャーマニックな世界の

consciensus reality(合意に基づく現実)を

共有していなかったからなのかもしれない。



しかし別の状態として「何か」を知覚していた。

それは「気の滞り」あるいは「その人にそぐわない気」として。

それが一番近い感覚だった。




ロールシャッハの図版の中に、蝶を見る人もいれば

人の貌や蛇を見る人もいる。

ロールシャッハの図という事実は一つなのであるが

それをどう認識するかが違うのである。



気の滞りであろうと、霊障であろうと、

そこに何らかの違和がある、それだけが事実なのだろう。


しかしそれらが実在する物としてのcontextで語られるとき

ある一つの思いこみの世界になっていないだろうか。


分析心理学(ユング心理学)では

異界(無意識のフィールド)のどこかにある

セルフ(自己)に自我(的)中心がシフトすることを

自己実現と呼ぶ。


それは生の意味と充実感という肯定的側面の強調であり

そこではセルフの闇とのバランスが求められる。



自己実現の過程で、無意識のフィールドに移行した自我中心が

明・善・良の側面しか見ないとき、

ある種の自我主張の強さとして現れる。



いつか書いた千日回峰行者・故小林栄茂師の言葉が耳に痛い。



「修行はすればするほど、悟りから遠くなります。」




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ダイレクト・インターフェーズ








ビオンは、われわれが心的体験として体験できる以前の心的要素として、アルファ要素、ベータ要素と名づける二つの段階を仮定する。両者は、ベータ要素という最も原始的な心的要素が、アルファ機能と名づけられる機能によってアルファ要素に変形されるという関係にある。ビオンは、ベータ要素は、思考の最も原始的な段階であり、心的側面と物質的側面がまだ未分化な、心的体験としては体験不可能な要素である。ベータ要素に相当する感覚入力や身体反応は、アルファ機能と名づけられる機能によって、イメージの素材となるアルファ要素に変形される。つまり、ベータ要素とは、イメージを構成する素材になる以前の要素であり、ビオンは、アルファ要素が生み出されてはじめて、さまざまの直接体験が可能な心的現象が生まれると考える。


『トラウマの表象と主体』
「トラウマによる主体の損傷と生成」森茂起 pp.203





う〜〜〜む・・・・(-_-")


わかったようでわからない説明ですが、

要するに、

私が「体感」や「理解」というフィルターを通さずに聴いている

身体の声や心の聲、言語化して患者さんに伝えているモノ、

それがこの『ベータ要素』のことなのでしょうか?



ということは、

私は「心的体験としては体験不可能」な領域を体験し、

ビオンの言うアルファ機能を介さずに

アルファ要素に構築してるってこと?







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